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2009-05

小生の考察 日本人の解けない洗脳(5) モラルの「貯金」

 さて、「今の日本は唯物国家だが、そんなに治安もモラルも悪くないよ」という考えについて。

 小松左京氏も、以前、「経済だけでなく、モラルにも神の見えざる手があって、宗教なんか無ければないでうまく働くようにできているのだ』と言っていた。

 だが、それは、過去の貯金で食っているだけではないのか、と小生は思う。

 「過去の貯金」とは、神道や仏教、キリスト教の人々が民間に時間をかけて流布してきた、死後に生あり、人の魂は奥で皆つながっているという発想、死者を悼む気持ち、畏れるべきものが人を越えてあるという心情だ。

 それらはみな、宗教家達が、泥沼の中に漬けられ、迫害を受け、拷問を受け、周囲から冷たい目で見られながら、長い長い年月かけて命をかけて守り通し、根付かせたものなのだ。

 それが生きている社会と、死に絶えた社会は違う。
 どう違うか。

 たとえば、遺跡の中から、「貝塚」と言うものが出土している。
 貝塚は、唯物無神論の人々からは、「昔の人の貝の食べかすのゴミ捨て場」と解説されることが多い。
 だが、古い日本人にとっては「貝のお墓」だという話がある。

 「私たちの命のために犠牲になってくれた貝よ。すまない。ありがとう。霊界に帰り、また生まれてきておくれ。また豊作になっておくれ。」

 という祈りの場所が貝塚である、という話があるのだ。
 これは、教師、向山洋一氏と梅原猛氏の対談にでてきた話である。
 向山氏は日教組にも浅からぬ縁がある。

 小生、それを読み、日本では、日教組の人ですら、未だ、死せる魂を悼む心に共感するところがあるのだ、とたいそう驚いた。

 だが、本当に筋金入りの唯物国家は違う。

 先日、中国の若い人々にとっては、「墓をなぜ大切にするのだ。人など死ねば無ではないか。くだらない。」と考える層が出始めたという話を聞いた。

 なるほど、貝塚が「貝のゴミ捨て場」ならば、さしずめ墓地は「人の死骸のゴミ捨て場」であろう。

 そんな目で人間を見ていたらどうなるか。
 小生、なにか寒いものを感じる。

 「日本人の脅威はその高いモラルだ」と、中華の人々は言うのだそうだが、
 それこそまさに、ドストエフスキーの危惧が、日中のモラルの差として現れているのではないか、と、小生は考える。

 だが、貯金はいつかなくなるものである。
 近未来、中国か北朝鮮が、その計画通り日本の占領に成功するか、あるいは、今のまま「宗教=悪」、とくに、「新興宗教=悪」という思想が定着し続ければ、
 日本人の「モラル貯金」は、やがて消え去ってしまうだろう。

 最後に、中国と同じ共産主義の国であっても、「宗教は麻薬」というマルクス主義本家本元のはずのロシアのプーチン大統領はは、現在、ロシア正教を弾圧したりせず、むしろ利用する方向で動いている、という話も、記しておく。

 そうすると、えっ? 「宗教が悪くないのはわかったが「新興宗教=悪」は正しいでしょう?」 といわれそうだ。
 

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