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2009-07

●初の野試合か 幸福実現党、桜TVと対戦(2)

 また、桜テレビの大先生いわく、「聖徳太子の十七条憲法の基本精神は「よく話し合え」ということ」だという。

 ……いや、ちょっと待った。
 ふつう、太子の十七条憲法と言えば、「一に曰く、和を以て貴しと為し」であり、それを実現するための話し合いである。

 さらに、その前提として、二条に来るのは、「あつく三宝(仏・法・僧)に帰依し」という、「信仰ある良識人」であることが必要であると明言されている。

 原文に依れば、『二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝はとは仏・法・僧なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かる直さん。』

 これは宗教=悪としてきた日本の現代人の感覚からすれば非常に珍妙であるが、 つまり、唯物論者ぞろいの中国共産党のトップが、いくら「念入りに話し合って」も、結論は、おかしな方向に行ってしまう、ということだ。

 古代ギリシャの人々が話し合う前提として、良識のある市民どうしである、という前提に立ったのと同じことだ。

 中世のトマスモアの「信仰なきは獣の仲間」と同意見で、正しい信仰である三宝を敬うことは人を狂気から救うために必要だと太子は考えていたらしきことが推察される。

 なお、明言されている信仰の対象は、天皇ではない。仏教の三宝である。

 臣がどうの、民がどうの、というのは、その次の条項から盛り込まれているはずなのだ。

 太子の十七条憲法は、普通に読む限り、実は右翼には都合の悪い憲法なのだ。 

 そんな十七条憲法まで引き合いに出して「自分の読み方と違う」と、批判してくる。
 理屈も何もあったものではない。

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