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9/2 大川総裁講義 宗教家の政治活動(3) 幸福実現党を無視したマスコミの真意
- 2009-09-04 (金)
- 大川総裁講義シリーズ
前日の記事
9/2 大川総裁講義 宗教家の政治活動(2) 民主党 鳩山政権の未来はどうなるか
の続き。
総裁の講義の論点は、次に、「幸福実現党とマスコミについて」というべき内容に入る。
マスコミ!
小生の見るところ、今回の選挙の真の敵に近かった連中である。
大川総裁は彼らに対してどう思っているのだろうか。
「今回私達が苦しんだのは、ここ(名前が浸透しなかったこと)である。
マスコミは、今回幸福実現党の名前を出さないために、涙ぐましい努力 (笑) をした。
じつは、彼らは、結局、「幸福の科学の裸の力はどのくらいか」、が、知りたかった。」」(要約 小生)
……ああ、なるほど、それですか!
さすが、ここでもまた大川総裁の視点の鋭さ、である。
マスコミが執拗に無視を続けた理由は、単に、民主党を政権につけたいというだけではなかったのだ。
この国の「第一権力」こと、現代のミノス王であるマスコミ連中には、新しく出てきたヘルメスの軍勢に対し「どれ、どんな力か試してやろう」という気持ちがあった……とまで言うと、マスコミに対して悪く言い過ぎだろうか。
しかし、試してみた結果は以下のようになったわけである。
「選挙に出れば、本当はどのくらいの規模か、実力がわかってしまう。
他の宗教が、選挙に本格的に進出できないのもこれが原因である。実数を知られるのを避けたいのである。
今回も、「これで幸福の科学の頭数が数えられる」とさんざん脅されたが、ものともせずに突撃して、百万票の結果を得た。
このぐらいの票を得るには、最低でも三百万人の信者が必要なのだ。」(要約 小生)
その通り。
ふつう、準備に数年はかかるはずの衆議院選挙で、それまで政治に出るなどと会員さんさえ想像していなかった団体が、たった三ヶ月で、百万票の堂々たる結果を出してのけた。
しかも、現場を見る限り、この団体は、その実力を三分の一、いや、十分の一も出してはいない。
まず、参加していない会員さんの数が多い。
さらに、はたからみていると、選挙を戦う、軍の組織や将校にまだまだまだまだ問題がある。
しかし、そんな状態でも、幸福の科学は、一つ目の試しに耐えたのである。
選挙の結果、議席がとれなかったのだから、盛大に笑いものにしてもいいはずなのに、マスコミは未だ沈黙し、幸福実現党にさわらぬよう、見守っている感がある。
議席がとれなかったにも関わらず、いまだ不気味な団体なのである。
叩けないのだ。
一番マスコミにとって痛いところを、大勢の前で総裁は幾度も街宣演説している。
一番痛いところを正確につかれると、人間、声が出なくなるものだ。
さらに、その主張が正当であるということを認めたのではないか。
どうやってマスコミが幸福実現党を認めていったかは、以下のように語られた。
『ある程度、普遍性のある教えを説いて行動をとれば、一般にも浸透していける。
たとえば消費税0%というと、世間からは奇妙きてれつと思われ、経済音痴か、関心をひくためかと思っていたが、「税収のグラフ」を出したあたりからぴたっと止まった。
ラッファー曲線は、欧米では有名だが日本では知られていない。「シロウトだと思っていたのがそうではないのか」という不安を感じたであろう。』
『国防に関しては、自民が逃げていたのに対し、うちが強行にいったので、途中からジョインして来た。
北朝鮮も韓国と話し合いのポーズをとった。
ただこの国難は表面化してくる。麻生政権で対応できなかったものは、鳩山政権でも対応不能。』(要約 小生)
これに対して、大川総裁は、今後の戦いをどうすすめていくおつもりなのか。
その戦略がまた、スケールを感じさせる。
大川総裁『十年以内にテレビ会社をつくる。』
えええええっ!?
……いや、確かに海外には宗教チャンネルというものがある。
例を挙げると、映画「羊たちの沈黙」で、悪役レクター博士への嫌がらせのために、彼の独房の真ん前で一日中宗教チャンネルを流している、というシーンがあった。
小生はノーマン・ピールあたりの講義をぜひ聞いてみたかったので、「いいなー、レクター博士、いいなー、小生と替わってほしいなー」とうらやましく思っていた。
だが、日本では初であろう。
いま、「衛星布教所」としてスカパー!を使ってやっていることをもっと広げるのだろうか。
もっと娯楽性の強いものだろうか。
『新聞はオールドメディアだが、赤旗の日曜版程度をだしてもいい。』(要約 小生)
新聞をさらりと「オールドメディア」というところが、総裁のすごさである。宗教家として破格に頭が柔らかい。
そして、それに関連して、今回の講義でいちばん小生がうけたパートが以下。
大川総裁 『あと、感じたことは、人口が増えたなあ、ということ。
民主主義は少ない人口でなければできないもの。
ギリシャのポリスは都市国家といっても、今で言えば、市と町の中間ぐらい。
顔を見せて話ができるぐらいだったのが、今はもうあまりの人数と、広さで、届かない。
候補者の意見を聞いてもらおうとしても届かないという感じ。』(要約 小生)
……え?
……ひじょうにナチュラルに話しておられて、聞き流してしまいそうだが、
総裁「ああ、見てたら、最近、人口が増えましたねえー」
……っていうのは、いつと比べてかというと、
総裁「6000年前のギリシャの頃と比べて」
……ですかーっ!
ここしばらく、政治の話をずっと聴講してきたが、ひさびさに、すごいスケールの霊的発言を聞いたぞ。
総裁、これ、あっさりと当たり前のように仰ってますが、 「最近、ご町内の人口が増えたねえ」みたいなノリで、6000年ぐらいの歴史を語る認識力を持ってる人はいませんよ普通!
しかも、ここをじかに支部の画面を見て聞いてみると、この時の総裁の言いようが、本っ当ーにしみじみと率直で、雑談の中でぽろりと本音がこぼれた感じが良い。
6000年前の人びとの町のたたずまいを昨日のように感じているのだと伝わる、この本物のさりげない口調が良い。
おかげで一瞬、こちらまでがその昔のたたずまいが見えた気がしてギョッとする。
このあと、「街宣車に乗って話しても象の背に乗ってはなしているよう」「だが、それでもビルの山でとどかない」という発言で、一気にギリシャからインドに記憶が飛ばれたのだろうな、と思う。
江戸をよく知る漫画家の杉浦日向子さんが絶賛した江戸の浮世絵の一つに、ものすごく空が広い江戸を書いた司馬江漢の「両国橋図」があって、杉浦さんは「これぞ江戸」と思われたそうである。
おそらく、総裁の知っている、遠い過去の「都市」たちも、広い広い空がぽっかりと広がり、どこまでも説法が通るものばかりだったのではないだろうかと、こちらまでが何とも言えない懐かしみを感じて切なくなった瞬間であった。
ここから、、「現代の民主主義はテレビを使いこなせた人の勝ち」「メディア向きの人材も採用したい」というふうに話が流れて、「十年以内にテレビ局」という話につながっていく。
ああ、もちろん
「民主主義は人数が多すぎると成立しない」
という観点も、「民主主義」「民主主義」とやかましく言う、現代の学者やマスコミ知識人では、絶対に得られないものすごい認識の一撃であった。
……そうか。
……現代では、そもそも、民主主義は、無理なのか。
無理なことの実現のために、いまの学者達は口角泡を飛ばして議論しているのか。
誰がこんなことを言い得たであろうか。
霊的な視点から来る智慧のもたらすこの一言、「民主主義」を金科玉条としている学者や、マスコミ知識人達が哀れに思われる一言であった。
そして、いよいよ、総裁の口から、次回の参院選の幸福実現党の目標が語られる。
以下、次回に続かせていただきます。
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