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2009-09
9/2 大川総裁講義 宗教家の政治活動(6) 幸福の科学の持つ、開拓者精神と「超・寛容さ」
- 2009-09-06 (日)
- 大川総裁講義シリーズ
九月二日、講義の続き。これでおしまいです。
……さて、総裁は、まだまだ「しみる」ことを仰っていく。
大川総裁「我々は『さきがけ』。
これから、後進のために道を開く。土方仕事である。
道を開くのは大変で、山道を切り開き、道路を造り、トンネルぶち抜くのは、嫌な仕事。
岩はあるし水は出てくる。
だが、いったん、道ができれば、あとは楽々通行できる。」(要約 小生)
気概の一言である。
たしか、二十年以上前、九十年代最初、大伝道に入ったころに、全く同じ事を仰っていた。
「ダイナマイトで爆破して、道をつくったあとで、黄色い袈裟を来た坊さんの集団がしずしずと歩いていく。」
という内容だったと記憶している。
あのときの魂と、全く同じ魂で、未だにフロンティアへ、フロンティアへと歩かれている総裁の背中を、会員さんたちは見ているのだ。
そして、この団体のすさまじい寛容性に驚かされるのが次のお話。
大川総裁「ある程度、政党をとらないと有力な人が来れない。有力な人も来たくとも来れない状態。今は我慢する時期。」
の次の部分、
「当会の三帰信者で、例えば民主党か、自民党で立候補した人の得票を見れば、10万票前後とってます。
多分、幸福実現党から出たら、数千票しか取れてないはずです。
うちから出たのは数千票しか取れないのに、よそで出れば10万票取れちゃうというんだったら、それどうしたって、その誘惑には勝てないというとこはあったかと思うんです。」(要約 小生)
うわああああ。
寛容!
なんという寛容さ!
もう、これがイスラム教だったら、「教団の軍隊から離れ、別の軍に参加していた」なんて、斬り殺されてしまうでしょう!
それが総裁「みなさん、どうしたって誘惑には勝てないと言うことはあったかなー」ですんでしまうんですから……。
いや、ありえない寛容さだ。
さらに、大川総裁は強いお人である。
これで、イエスのようにこのまま先生が亡くなっていたりでもしたら、もう、他党から出馬していた三帰信者の議員さん達、一生の良心の呵責である。
この団体を知ってから、宗教家がこの世的に強いと言うことは、本当に大切なことだと思い知らされる。
以前、総裁「落としどころは心得ていますから」と、いうような言葉で、決して無謀な戦いはやらないことを仰っていたが、絶対負ける戦はしない、というのは、「自分が殺されて弟子を不遇にさらさない」、ためでもある。
さらに、一部の弟子達が一時、離れたり、敵に味方するような弟子が出ても、ずっと教団を安泰に護持する強い指導者であれば、再び帰ってくるまでの時間を彼らに与えていることになり、離れていった弟子たちを、「道に背いたままで死んでしまう」ような不幸な目にあわせることが少なくなる。
ふとえ裏切られても、ダメージを最小限にして活動を続けていく。
「この世的に強くある」ということが、仏陀の、弟子達への愛の形ではないかと思うのである。
さらに、こんなことも仰って、笑いを誘う。
大川総裁「私を含めて皆さん落選なさいましたけれども、それは民主党から立候補したら10万票取れたかも知れない(笑)。
10万票以上取れた可能性があるところが、うちから出たために2,000票、3,000票、5,000票で止まったところはあるかと思います。
これは、もうトップとしてお詫び申し上げなければならないところでございますけれども、でも、初めてのものというのは、やっぱり難しいですから、そう思って下さい。」
この言葉に、
……いやあ、しみじみ、カルトの怖さと縁のない宗教団体だなあ
と思う。
江川紹子 女史が「幸福の科学はカルト、負けたらテロに走るから警戒せよ」とさかんに言っていたようであるが、この発言を聞くと、
『どこのカルトが「トップとしておわびもうしあげ」たりしますか!』
と言いたくなりますな。
この団体が、短期間で世界に広がるのも、むべなるかな。
そして、講義の最後に、
大川総裁 「今、新規事業に入っているわけです。
今年は国際伝道、学園、映画、選挙と新しいことを四つもやってしまいました。
全部が実を結ぶことはないが、新しい体験をしていて、次の時代の仕事の種をまいていること。」(要約 小生)
と言い、前の記事に記した、「十倍の重みに耐える力を」という総括を述べながらも、最後、圧巻な姿を見せた。
最後のしめに、
大川総裁「でもとってもエキサイティングで面白かったです!
どうもありがとうございました!」
……と、仰ったのだ。
この、一言を言いはなったときの総裁!
若い!
ほんとうに若い!
こんな総裁は滅多に見ることができない。
表情が、声が、最高にチャーミングである。
元気のない時に何度も見たい。
そんな破格の笑顔と声である。
このときの総裁の若さを見た瞬間、「青春とは年齢ではない」という教えを、手の中にはっきり捕まえた気がした。
というか、もはやあの笑顔は、
「いま一瞬、演壇に姿を見せたのは、青年王ヘルメスそのひとではないか!」
……正直、そう感じてしまった。
激しい戦が終わった総括の講義。
その、最後の最後、若きヘルメス王が一瞬、降臨して、風を吹かせたのではないか。
会員さんたちはこのとき、祝福されたのだ、と思う。
……発展の神に。
この「青年ヘルメスの笑顔」こそ、自分のもとで、一夏、死力を尽くして戦った、会員さんたちへの、最高のプレゼントではなかっただろうか。
同時に、「戦いで血が騒いだ」というが、ほんとに「楽しまれたのだなー」と思われ、「仏と軍神」の二面性をまざまざと味わう一瞬でもあった。
……ふりかえれば、ほんとうに凄い夏だった。
「ヘルメスの精神」というのは、今までは抽象的でいまひとつ理解することが難しかった。
しかし、今回、選挙戦をウォッチし、あるいはその中に身を置く人びとと接してみると、その形なき精神ははっきりダイレクトに学ぶ者の魂に入ってきた気がする。
これなのだ。
この風、全支部に横溢し、内気だったはずの職員達を変え、日本の国論を変えたこの力が、この風が、ヘルメスの精神そのものなのだ。
この風を、この力を、この輝きの記憶を忘れぬようにして、「その輝きと同じものを自らが作り出せ」とは、「信仰と愛」で説かれた通りである。
いくらお金をつんでも手に入らないお宝を入手した気がする。
ともかくも、総裁、一生どころか、生まれ変わっても忘れられそうにないたまらない笑顔を、ありがとうございました。
……ううむ、やはり一議席、なんとしても取らせて差し上げたかった……。
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