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2009-09

9/2 大川総裁講義 宗教家の政治活動(5) 総裁の語る、幸福実現党、三つの改善点

 総裁の語る「三つの改善点」について。

 さりげない言葉の中に、弟子達への明らかなサジェスチョンが入っている部分を、三つ抜き出して考察してみた。

 以下、シンパの方には手厳しい内容であり、すでに選対はこれについて対策を立てているかもしれないのだが、このブログは「一歩離れたスタンス」なので、こうした部分も、「記録」として書いておく。

 【反省点その一 候補者選びについて】

大川総裁「当選者を出すためには、候補者選びをしなくては。知名度、それから実際の活動の審査等が必要」(要約 小生) 

  ……総裁は、まず候補者選びの問題を出した。
 これ、本当に「現場がよくわかって居るなあ」と感心させられる。
 講義の後の部分では

 大川総裁「みなさまの実力はまだまだある。」「私を含めて皆さん落選なさいましたけれども、民主党から立候補したら10万票取れた」
 「自分の得票数に10倍、20倍、実際は力が、まだあるんだという風には思って下さい。」
「候補者を比べても必ずしも、うちが劣っていたわけではないと思います。やっぱり、これは流行がやっぱりあります」

 と、一同をねぎらうような言葉がある。

 しかし、いっぽうで、「幸福実現党の真の実力を出すためには、候補者選びについて、もう一段、考え直す必要があるのではない」か、と総裁は仰っているように聞き取れる。

 これについては、思い当たる実例を知っているので、書いてみる。

 じつは、某地区で、選挙の最後の総括の挨拶の際、小選挙区の候補者が全員で並んだ時に、皆日焼けして色黒なのに、一人だけ色白の候補が居た。
 その「色白くん」は、最後の二日だけ街角に立ちまくり、「声が枯れてしまいました」と意気揚々であるが、現場の婦人部からはすこぶる評判が悪い。
 ところが、その人は宣伝や説法に長けていて、中央の選対から信頼が厚い。
 
 逆に、選対からの評価は「普通」の候補者で、注目を浴びた人もいる。
 その人は、地味で、弁舌も「色白くん」ほどたたないが、白手袋にたすきがけの姿のまま、一人で街宣車を運転し、運転しながらアナウンスし、一夏、地道に頑張った。
 すると、いつしか一人、地元の有力新聞の新聞記者が、その姿に興味をもったらしく、一夏ずっとはりついていたそうである。
 記事にはならなかったものの、毎日のようにはりつかれたというから、これは、すごいことだ。

 こうした実態を、認識しているかどうかで、次の選挙の結果がまた変わってくるのではないかと思う。
 とくに、総合本部の人たちは、ほとんどが聖職者なので、その視点で候補者を判断するむきがあるようであるが、じつは、演壇に立つ聖職者としての評価と、現場や外部からの評価は違う。
 選挙は、仏や神から評価されること以上に、現場の人びとから支持されなければならないのだ。
 その意識の切り替えをすすめる必要があるのではないか。

 同時に、職員だけで固めるのではなく、本気で政治家になりたいという人びとをもっと沢山候補者として迎え入れる必要がある、と総裁は考えておられるようだ。
 来年から、「幸福実現党・政治塾」を開講するという話だが、大いに期待してしまう。
 これも、募集だけして本部で待つのではなく、全員がドクター中松ばりに、積極的に声をかけ、ここぞと思った人は三顧の礼で口説き落とすぐらいの熱意があれば、よりよい結果に恵まれそうな気がする。

 【反省点その二 職員をはじめ、団体のマインドを変えよ】

 次に総裁は、

大川総裁 「宗教的にも、支部長のマインドを変えるチャンス。
 お寺もキリスト教も檀家・信者が百件在れば食べていける。当会の支部長も千人もいたらいいと思っているが、
 選挙を考えると、一万人をターゲットに人づき合いする必要がある。
 内向きカルチャーから外向きカルチャーに変えなければ」(要約 小生)

 という話をされている。

 じつは、幸福の科学の内部から、よく出てくる自分たちへの反省点の一つに、「愛がない」という指摘がある。「愛」というのはこの場合「他人への関心」である。

 これは教団の性格に関係している。
 たとえば、仏教の坊さんとキリスト教の神父牧師を見くらべると、仏教は頭がいいけど冷たい感じ、キリスト教は頭の良さはは二の次、信仰と愛がすべて、という感じがする。

 幸福の科学は現在、どちらかというと前者である。

 そもそも、「内から外へ」という順序の団体なので、まず利自、個人として智慧を求めたり心を静める習慣をつけたりすることに重きを置く。
 そして、自分磨きがある程度まで到達すると、人のことも見えてきて利他へ広がっていく感じになる。
 が、そこまでたどり着いていない会員や職員の中には、館内で、思慧して歩き回り、あるいは自分の作務で頭がいっぱいで、来館者からみて「なんだ、愛想が悪い、冷たい感じのする人たちだな」ということになる。

 これについて、総裁は以前ユートピア価値革命の講義で、「今回の人生では、仏教的な智慧の部分とヘルメス的(愛と発展)の部分、両方目を覚ましていなさい。これは難しいが、今回の課題である」というようなことを言っておられた。
 
 勉強好きな団体の美点を残しながらも、他人に関心を持つように、団体の性格を変えていく。
 自分を変えると言うことは、自分の一番知りたくない欠点と向き合うと言うことでもある。 
 人に日頃、説法する立場になれている人たちは辛いことだろう。
だが、今回は、これを本気でやらないと、票が取れず、世の中が救えないと、暗に総裁は仰っているように聞こえる。

 【反省点その三 一般的な選挙の技術を学べ】

 大川総裁「何度かのトライで熟練し、技術が発達し、見えてくるものもある」(要約 小生)

 総裁、これまたよく現場をご存じである。
 熟練が足りない。
 技術が足りない。
 足りないのは仕方ないのだが、それを「仕方ないよ」ですましてはならない、ということだろう。
 ポスターの無駄刷りひとつとっても、現場の会員さんはかなり消耗したようである。
 仏法真理だけでなく、テクニカルなこの世の部分も学びなさい、と総裁はおっしゃっているように思う。

 なお、幸福の科学は、すでに十月の映画で頭がいっぱいのようだ。
 しかし、外部から見ている、「選挙慣れ」した人たちからは

 「幸福実現党が次回、当選するには、幸福の科学から、一部、人員を切り離し、選挙専属、選挙のプロを作ることが最短ルートになるだろう。それをやられたら脅威である」
 「今回の候補者に、引き続き、今から十ヶ月、朝夕の通勤時などで、この政策を辻立ちされたら、信用がつき、かなり我々の票をもっていかれる」

 という声があるということを、参考までに期しておく。
 総裁の講義を聞いた後だと、その意見はかなり正当性があるように思われた。

 なお、これらに関しては、総裁は最後の部分で、


 大川総裁「今後、政治に関心のある方も、今後、また寄って来られると思います。
 政治はやっぱり日本の国を背負わなければいけない。重い。
 経験的に見ると、やっぱり、まだまだみんなも政治に関心、持って、もっと重みに耐えなければいけない。
 宗教として、まだ一企業的に動いていた面があると思うけれども、国家を背負う気概を持ったら、もっともっと色んなことに対して関心を持ち、その重みに耐える力、今の10倍の重みに耐える力を身につけることが大事であるというふうに思うに至りました。 」

 と、いう形で、団体としてのいっそうの精進を誓っているように感じる。
 まだまだ進化を意図してやまないおつもりなのだ。

 ……次回、もうちょっと続きます。

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