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2009-10

映画 仏陀再誕 感想レビュー(6) UFO襲来! このパニックシーンが凄い!

 『祭りの夜。神社の境内で、ヒロインは浴衣にめかし込み、すっかり元気になった弟と、茶髪の彼氏とともに夜店を楽しんでいる。
 そこへUFOの来襲。一瞬で首都圏は壊滅状態になるわ、夜店も攻撃されてパニック状態。弟がはぐれたので、彼氏が探しに行き、無事に見つけ出す。
 その間に石垣を積んだ小高いお寺の敷地の端に立ったヒロインは、いずこからともなく舞い降りる蓮の花が、UFOを次々と撃破するのを見る。
 やがて、UFOの母船らしきものは、巨大な蓮の花にとってかわられ、東京上空(ですよね?)には巨大な美しい蓮華が開く。
 気がつけば、全く町の建物には被害がでていない。
 縁日の人々は、ヒロインがUFOを撃破したものと思いこんでしまう。
 UFOは荒井氏の幻術によるものだった。
 ビルの屋上から幻術を送る荒井氏と真正面の東京タワー(らしき場所)で一人対峙する子安、もとい空野氏。』

 さあ、パニックシーンである。
 このシーン、演出や映像は、文句のつけようがないと思うがいかがであろう。
 ……細かく見ていくと、
 まず、冒頭、縁日で手持ちぶさたに素足で下駄の足を掻く彼氏のアップから入るのはさすが、である。
 お約束通り、ヒロインの浴衣に見とれる彼氏、「馬子にも衣装」で怒ったヒロインの目の前にはチャーミングな眼鏡に坊主頭の親子(←この親子は小生かなり気に入りました。このキャラデザイン、映画の中で一番好きだわー)
 「ありがとう」とやたら謝ったり感謝してばかりのヒロインの台詞はかわいいんだけどシナリオ的にどうかなとも思っているところに、「オレがそうしたいからしただけだから」とものすごいイケメン発言の彼氏。
 男ぶりをあげたところで、お約束のようにツンデレ(彼氏の前でツンケンしてみせてあとでデレデレになる女の子)っぽい発言をする彼女。
 子供と真剣に金魚すくいの勝負をする彼氏。彼氏の性格がよくわかる、ほほえましいシーンのところで……風が止まる。金魚が暴れる。 何かが空に現れる。かき氷があふれるシーンなど実にいい。
 ……そして、嘘おっ! 首都圏の一部、一瞬で壊滅しちゃったよ!
 お客が誰も全く予期せぬUFOの突然の襲来はド迫力。
 姿が見えない弟。うわ……無事なのか? と不安を高めておいて、パニックの最中で引きつった顔で彼氏と出会う弟の顔が最高。
 と思ったらヒロインがビーム直撃……爆発で注目したところに、無傷で光り輝くヒロイン。
 そこへ光る東京タワーと蓮の花の出現の仕方。
 ヒロインが救世主だと最初に噂する愉快なTシャツの老夫婦が最高に良い味出している。(この二人は後からまた出てくる)
 撃退されていくUFOのシーンは圧巻だ!
 ……そしてついに東京上空に陣取る母船を滅ぼして、その変わりに人々を慈しむように花開く巨大な蓮華のビジョン。
 最後に、「邪魔が入ったかっ」という荒井氏、最後に対峙する二人の宗教家(←ここ! ここは映画の中でも最っ高に燃え処ですよ!)
 ……いや、いいわ。すごくいいわ、映像・演出。
 中盤、いきなりの山場、よくぞ作られた。正直、ここは何回でも見たい。
 しかも、劇場の大音量がまことにふさわしい迫力のシーンなので、客席で、たっぷりと呑まれてごらんになることをおすすめする。

 このシーンは、すべてにわたって満点……といいたいところなのだが。
 実は、ここに二つ、説明不足から来る、物語の大きな穴がある。少なくとも、小生は「あっ! しまったどうしよう!」と、すっかり制作サイドの身内の気分で周りを見回す思いだった。(いや、幸福の科学の映画に限らず、小生はお笑いでも何でも、芸より先に客席の反応が気になるタイプなもので)

 一つ目の残念ポイントは、「これがすべて荒井氏の幻術だった」というこのシーンのキモが、映画を見終わってもお客に伝わりにくいところにある。
 初見の時、映画館を出てから、連れに
 「それで、あのUFOの人たちはどうなったの?」
 と聞いたのは、小生だけではあるまい。(←すいません、わかりませんでした)
 その問いに、B級映画の大ファンの伴侶は、
 「あれ、幻術だったんだよ。ほら、あのシーンの最後に被害が出ていない町の様子が写ったでしょう」
 と即答したが、それでも
 「いや……でも、モニターに映っていたのは何?」
  「モニターに……」というのは、荒井氏が悪の教団の奥の一室に置いて居たモニターのことだろう。伴侶はあそこで引っかかったわけだ。
 小生は、逆にあれは荒井氏が幻術の時のイメージづけの修行のためにつかっていたグラフィックだとすぐに理解できた。
 ……ここがまず一点、痛かった。
 あまりに来襲のシーンが見事すぎ、力が入りすぎていたため (これはスタッフの大手柄である)、被害がない街並みを見ても、お客は「幻術」とは今ひとつ合点がいかず、「ん? この町、誰がなおしたの? 何で直っているの?」という感じだったではないかと思う。
 まあ、小生の場合は、「悪い異星人がUFOで責めてくる」とか、逆に「神の異星人が地球を指導している」と説く教義の邪教があって、てっきりそっちの教義も入っているのかと、と思ったためもある。
 この点、パニックシーンのスタッフの腕が極上だったのだが、極上過ぎて、その「解決編」がかすんでしまい、最後まで「あれはよくわからないなあ」というすっきりしない気持ちを残したままでお客を返した、という感じにも見える。
 お客をだますのはスタッフの腕である。
 しかし、抽象的・前衛的な映画でない場合には、物語が終わり、劇場の灯りがつくまでに、すべての謎はお客の頭に在る程度解明されて、お客は「しまった!だまされた! やられたなあ……」と気付くようにもっていかないと、そのシナリオは「B級映画」と言われてしまうのだ。

 ところで、なぜあれが作中の「幻術」だとわかりづらかったのか、具体的に引っかかったシーンを考えてみたい。
 小生がだまされたのは、おそらく、たった一つのシーンのためである。
 それはどこか。
 ヒロインの彼氏が、弟を探しに来て、爆風で吹き飛ばされるシーンである。
 このシーンは、作劇上のつくりとしとてはうまい。弟を見つけたときにそのまま駆け寄るより爆風で吹っ飛ばされるほうが何万倍も面白い近寄り方の演出であることは間違いない。
 だが、ここで問題なのは、
 「幻術なのに、爆風でぶっとばされる」
 ということがあるだろうか? ということである。いや、荒井氏は念力が使えたはずだ。あの爆風も念力でおこしたのだ、ということであれば、都内全域に幻をみせたあげく、あちこちで幻術で爆風まで起こした荒井氏の術は、半端なく強力で、人間業ではない。(なるほど、大悪魔が憑いているゆえんである)が、そこが今ひとつ書かれていない。

 ( こう書くと、「そもそも宗教アニメでトンデモな話なんだよ、はなから説明なんてつかない、デタラメに決まってるさ」とアニメファンは笑うかも知れないが、実はこれはリカバリー可能な作品の疵である。
 たとえば、冒頭、弟がテレビを見ている番組の中に、「催眠術」の番組を何気に入れておくだけでもよい。
 ご記憶の人も多いだろうが、だいぶ前に日本にものすごく強力な催眠術師が来て、何十人に一編に幻術を見せたことがある。あれは凄かった。子犬だと言われて靴を与えられた人は、愛しげに靴の頭を撫でていた。
 あんな感じで、劇中の最初にテレビか何かで、催眠術にかけられ、「爆弾が爆発したという暗示で吹っ飛ぶ被験者」を見せておく、などしておくのである。
 まあ、そんな説明を入れる尺がなければ、単に彼氏が爆風で飛ばされたのではなく、彼氏を急に明滅した光に慌てる人混みにおされて、突き飛ばされて弟のところまで飛ばされる、というのでもいい。)

 また、単に念を放っただけでそこまでのビジョンを見せ、パニックを起こしたというのもちょっと説得力が弱いところだ。
 ここは、津波の時のように「何かを媒体にして」というその媒体を描けばよかったかもしれない。ぶきみな光を放つ飛行船とか、誰があげているのかわからない変な色の花火、とか。(それとも、小生が見落としていたかな?)
 ……このあたり、もう少し納得いく説明が欲しかったかな、と思う。
 迫力の場面だっただけに、実に惜しい。

 そして、ここでもう一つ、かなり残念な説明不足がある。
 「ヒロインが救世主と間違われてしまうことについて、説得力が決定的に弱い」ところ。
 ここも惜しかった。どこが不自然に見えるかというと、画面で見ている限り、
 ヒロインのしたことは後光が出たことと、空にむかって指を差したことなのに、それでやっつけたという噂が立つのが不自然なのだ。
 ( ここもちょっとした映像で説明をつけることができる。
 たとえば、最後の蓮の花が一同に見えたのなら、UFOを撃退した蓮の花びら(あそこは文句なく名シーンだった。ああ、書いていたらまた見たくなってきたぞ)が、列をなしてひとすじ、ヒロインのかざした手に舞い降りる、などのシーンがないと不自然なのだ。
 じつは、下りてきた光と、立ち上る光、というのは見分けがつかない。ここで一同が見間違えても不思議ではない状況が出来る。蓮の花の動きを手で追うヒロインを、はたでみてた人たちが、ヒロインの手の動きに連れて逆に蓮の花が動き、UFOが撃退されたのだと言うことを、もう少しビジュアルで出した方が良かった。

 ……以上、決して「トンデモかつでたらめな映画」ではないということのために、リカバリー案をちょっと細かく書いてみました。)

 この勘違いは、最後のシーンに至るまでの重要な物語の牽引力であるので、この説明不足を解消できなかったのは、まことに「無念」の一言である。

 それにしても、このシーンの最後、はるか距離をおいて対峙し、お互いに火花を散らす宗教家二人の図は最高に盛り上がったなあ。
 荒井氏が、どんどん梶原一輝原作の格闘マンガ(古いな、我ながら)にでてくるものすごい劇画タッチの悪役面になっているので、特に「ザ・ライバル」みたいな図で次のシーンに引きを入れるのは最高に上手かった。このシーン、思わず拍手したくなりましたぞ。

 ( ちなみに、伴侶は「馬子にも衣装」という台詞を聞いたときに、だいぶ昔に、B婦人が幸福の科学本部で、婦人部の改まった会議に出るとき、ものすごい正装をしたその艶姿を見て、この一言を発してしまったために、B婦人から背中を張り飛ばされて、壁にめりこむかと思ったことを想起したそうです。親子ほど年が違うのに仲いいなあ、あなたたち。)

 『翌日、テレビで有名になるヒロイン。真相に対して、諸説ふんぷんの中、操念会は自分たちがやったと主張する。インディオの老婆が反論しようとするが口をつぐまされてしまう。
 しかし、操念会の言説とは別に、ヒロインの姿がネットやテレビで映されて、噂になる。
 学校の部室で話題になり、「ええーっ!」と驚くヒロイン。
 いっぽうで、いらだちを隠しきれず、「次のミッションに入る。すぐにだ!」という荒井氏。怒りの念でずばっと切れてしまう幕』

 ここは、いきなりの千葉繁さんの悪役っぷりが嬉しい。
 もっとはっちゃけてもよかったのですが、ちと抑え気味でしたね。
 なお、インディオの老婆が出てくるところで、会員さんは受けたらしい。
 なんでも、前作・永遠の法でもこの「ばば様」は出演したとか。
 ほう、スターシステム(同じキャラが無関係な作品にも出てくること。手塚治虫さんのヒゲオヤジみたいに)ですか。
 そういうキャラを生めたということは、前作もアニメ的に結構成功したのではないかと思う。

 ただ、「口をつぐまされた」シーンはちょっと弱かった。ばば様か、ぐっと口を押さえる前に、黒い悪霊のようなものにとりつかれる描写があっても良かったと思います。

 一方で学校。
 部室で、
 「サヤコが謎の美少女できゅうせいしゅなんだってえー」
 という同じ部活の少女、この子はあれだ、冒頭で、「なんでアンタだけがもてるのよ」と黒いことを考えていた子だよなあ。
 なんか、台詞的にはバカにしているようにも聞こえて、素直に聞けないところが怖い。いや、怖いよこの子。

 さて、ここで一般に広められる「ヒロイン=謎の美少女が町を救った」説。
 ここでも、テレビに投稿されたという画像で、ヒロインは単に静止画像に見えるし、ただ指さしているだけだし、やはり「ヒロインが救った」という噂になるのはあまりにも弱い感じがする。
 (やっぱりここは、UFOがヒロインの動きに連動して消されるシーンがないとなあ……でも、UFOは幻術だから動画にはうつらないんですよね?)
 ここの説得力が弱いので、あまりにもとんとん拍子に時の人になってしまうヒロインが、ちょっとヒロインにばかり都合の良い感じの展開でもてはやされるように見えて(アニメファンなら「ヒロイン万歳(まんせー)」と言って敬遠しそうだ)、このあたり、苦しいかなあと感じます。
 しかし、テンポのよいシナリオが、ちょっとした疵も押し流して、作品はどんどんと展開を見せていく。ここはこの作品の強みですね。

 そして次はいよいよ、子安さんの長時間説法。
 ずっと子安さんのターンだっ!

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