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映画 仏陀再誕 感想レビュー(10) 東京ドーム大決戦 その2 悪魔が消滅しなかった理由
- 2009-11-07 (土)
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(突然、数日前から、パソコンとサーバーの同時トラブルに見舞われております。サーバーを移して暫定的にブログ運営中ですが、いやほんと、こんなすごいトラブルが連続して起きたのは初めてです。……一体どうなっちゃったんだろう)
『大乗の仏陀としての覚醒をとげた空野氏。象に乗った姿で出現、悪魔を封じる。』
ずしーん、ずしーん、という地響きとともに、いきなり象が出現。
え、象?
なんで象?
……大人たちが唖然としている隣で、うちの幼稚園児が
「あーっ、あふりかぞうだーっ! ねえ見てみて、あふりかぞうだよーっ!」
と指さして大声で叫んだこのシーン。(……『あふりか象』って、漫画「がきデカ」のこまわり君じゃあるまいし、釈迦はインドの人だから、インド象だよきっと……と縷々解説)
象に乗った仏陀の像は見たことがあるのだが、この場合、上に乗っている仏陀がスーツを着ているのがシュールなのである。
このシュールさは、スエーデンボルグの霊界探訪記とか、宮沢賢治童話などの霊的な感覚に近い。(蓮の花のUFO撃退シーンも同じ)
象に乗った姿と大乗の覚醒が関係あるようにも思われる。
象に乗ってマヤ夫人のお腹に入ったとか、白い象は神聖だとか、象が世界を支えているとか、いろいろ諸説あるけれど、このシーンでの象の出現ははっきり答えが出ない謎の一つ。
『そして、象の背中に立ち、悪魔に修法を行い、魔払いを行う空野氏』
以下は仏陀の文言。
『地上にある仏陀の教えをそしり、それに背く者あらば、それは宇宙の仏を否定することと同じである。
悪魔よ、去れ』
迫力のある子安さんの声がここちよい。
三木さんの悲鳴がものすごくイイ。見事なバトル決着の台詞である。
ここで出てくる技が、幸福の科学ではおなじみ、エル・カンターレファイトと呼ばれる修法。
十字を二度切るが、二度目の十字は悪魔の瞳に焼き付けられた形で見えるところがうまい。「エル・カンターレファイトという修法で十字を切るのは、悪魔を磔にするための十字だ」、という解釈はきいたことがある。
それをくらって、ひとたまりもなく、悪魔は、冒頭の自殺した記者のように、後ろに開いた次元の穴に吸い込まれる形で姿を消す。
ここで教義に関係することがあるとしたら、
「悪魔は死なないのである。殺せないのだ。」ということ。
(映画の最初に出てきた記者は、霊界での裁判で、「自殺したので、寿命が来るまで地上に留め置き」という意味で吸い込まれていったが、こちらは逆に地獄につきかえされたような形。でも両者とも魂が消滅したわけではない。幸福の科学の教義では、どのような魂も消滅しないのである)
ここは、次の許しの説法にも関係している。
『悪魔の消滅と同時にヒロインの霊体が消えていく。どうもヒロイン死亡の様子である。
いっぽうで東京ドームのグラウンドに降りた空野氏。荒井氏の廻心』
皆の前で法を説く空野氏。聞き入る客席。
幸福の科学では年に二回、東京ドームを満席にして講演会をしていた時期があり、それを彷彿とさせる。
(なお、このシーンで地上のグラウンドで説法しているのに、モブの観客が全員目線が上なのは単に余裕のない状態で制作したためのミスだと思われます。みなさん、見なかったことにしてください)
お客の中には、前にしぶしぶ講演会に連れてこられていた紫のシャツの人が……偶然に来た野球観戦で仏陀の法をきくなんて、結構、仏縁ありますな。そして神妙な顔で合掌しているディレクターのチャラ男さん! あんた一体何してるんですか! と大笑い。ぽつぽつと光が出る客席。
(同じタイミングで映画をやっているフレッシュプリキュアでは、入場するとちっちゃいライトがサービスでついて、プリキュアがピンチの時にライトをつけて応援するという趣向なので、幼稚園児の娘に引きずられて見に行った小生は、「現実に光がともるとどんなか」というのを知ることができました。いや、美しい光景ですね、ほんと)
いっぽう、地獄でも仏陀の説法を縁として、次々と天使たちが救済に。
なぜ全員女性で全裸なのかは不明。
(ここで、彼女たちの姿がなにか既存の漫画の天使を思い出すのだが、それはあとで記述させていただきます)
ここでの仏陀の説法は以下の通り。
『道にいりて修行せしものを惑わせ、混乱せしめる和合層破壊の罪は極めて重い。』
『人間である以上、間違った思いを心に抱くことも在るであろう。人間であるから間違った行為をしてしまうことも在るであろう。完全無欠ではない地上の迷える人間である以上、誘惑に身をさらし、誘惑の中に生きていかねばならぬことは数多くある。それゆえ、反省という行為を通して、自らの悪を消し、自らの行為を浄める方法が与えられているのだ』
荒井氏「反省? ……悪を消せる? 私はお前達を殺そうとしたのだぞ」
『だがそなたも、また仏の子である事実は変わりないのだ。よ
汝、自らの過ちを反省し、仏の子として目覚めよ。』
反省によって過ちを償う道が存在する、という教えを説く、このシーン。
ドラマ的には、悪役の台詞がちょっとストレートでパターンっぽく聞こえるのだが、このくらいわかりやすいほうが海外の人には受けるらしい。
というか、伴侶の連れの壮年男性は、廻心によってやり直しがきくというこのシーンが一番印象に残ったと言っていました。
(なお、同じ時期に上映の幼児向けアニメ フレッシュプリキュアでも主人公が自分の罪の重さにショックを受け、呆然となったところを立ち直り、敵の集団も、天使の出現により憎悪が愛念で溶かされて廻心のシーンがありました。善悪の戦うドラマとしては、廻心はオーソドックスなテーマ。
プリキュアのほうがすんなり見れたのは、やはり脚本のキャリアか? それともあちらはエンターテイメント重視だからか?)
さて、前のシーンで悪霊が消滅しなかった理由はここにある。
すべての魂は改心すればいくらでも仏子としての魂に戻れるのである。
なぜなら、彼らの本質はみんな等しく仏の子であるからなのだ。
じつは、ここが悪魔との戦いで宗教家に苦労が絶えないところでもある。
悪魔は殺せないのだ。
幸福の科学の教義としては、悪魔はどこかからふって湧いたものではなくて、地上を去った人間が妄執にとらわれて何千年も暗い世界にいるうちに、積極的に仏神の世界をぶちこわそうと動いている人ということである。
つまり、どんな悪魔も、よくある物語のように、その存在が消滅するなどと言うことはない。
どんな極悪非道な存在も、その芯に、仏と同様の仏性・神性があるわけなので、一般の人々や仏陀と同様、永遠の生命をもっており、廻心するまでえんえんと何千年でも噛みついてくるわけである。
宗教家達はそれをえんえんと耐えて、ただ彼らの廻心を目指すしかない。
そのための戦い方として、浅い地獄にいる人たちを説得して救い、彼らの戦力を削いだり、地上にいる人たちの悪想念をカットして、悪魔へのエネルギー供給を絶つ、という兵糧戦をやって、じわじわと力を弱めていく、などの方法を、気の遠くなるぐらい昔から行っている、というのが幸福の科学の悪魔論である。
……本当に忍耐が要りますね、宗教家というのは。
さて、ここで、ヒロイン死亡ということらしいのだが、この時点では今ひとつよくわからない。あの魂の消え方だと、「あれ、肉体に戻ったのかな」、という気もする。
ところが……
『ヒロイン死亡。死を悼む人々。
叫んだ拍子に茶髪の彼氏が幽体離脱して、彼女に告白、地上に戻ってくる二人の魂』
……たぶん、ここはこういうストーリーなのだと思うが、ちょっとわかりづらかった。
まず、ヒロインの霊体がぼろりぼろりと消えていくところが「え、なんで?」という感じ。
「無理もないよ、あんな悪魔と戦ったんだ……」というが、これは恫喝をはねのけたことをいっているのだろうか。恫喝をはねのけたぐらいで魂が解放されたらお亡くなりになるものなのか。
そして問題の霊界のラブシーン。
問題の……と書いたのは、ここもちょっと、見ていて苦しい穴がある。というわけで、このシーンについては、再び緊急家族会議が開かれる。
伴侶「この、霊界でヒロインを起こしたのって、彼氏の守護霊?」
小生「……いや、本人でしょ。ラストシーンで彼が霊界でのことを覚えてたからヒロインにちゅーしたんでしょうし。」
「ヒロインの彼氏って、ふだんから幽体離脱出来る人だったの?」
「……そ、それはまあ、なんというか、火事場の馬鹿力というか困ったときの幽体離脱というか……。」
「……」
「……すいません、単に、彼氏が幽体離脱して、戻ってくるシーンが、尺の都合か何かで省略されているのだと思います、はい」
伴侶「で、シナリオ的にはどうなの? ここは」
……ぐぐぐぐ。
す、すいません。小生はここのシナリオに関してはちょっとノーコメントで。
無理に感想を言えと言ったら、恋愛ものアニメで頻出するよくある台詞で組み立てた穏当なシーンだと思います。時間のない中で無難にまとめた、という感想になります。
感想が出てこない理由は、「直球の恋愛シーンで当方の脳が拒絶反応を起こした」せいもありますが。
……実は、これとそっくりの台詞とよく似たシチュエーションの使われたシナリオを、つい数年前に放送された有名なアニメで見たことがあって、「ううむ、似ているなあ」と思っているうちにシーンが終わってしまったため、詳しく考えたり味わったりすることができないからなのでした。
というわけで、このシーンについては伴侶の解説を一言。
「この場面は幸福の科学の霊界法則が出ているシーン。
……あれだけ内気な茶髪の彼氏が、霊界だと全く躊躇なく彼女に抱きついて告白している、というところ。
地上だと好きだとか嫌いだと思っていても、すぐに言葉や行動にはならない。
でも霊界だと、自分の思っていることがストレートに行動になって、好きな相手には抱きつくし、嫌いな相手は首をしめてしまうと、総裁先生はよくいっている。
そういう部分が現れているところで、そういう意味で面白いシーン。
」
……なるほど、そういう意味があったのか、と妙に関心。
ちなみに、「このシーンとよく似ているアニメ」について、ヒントをを書いてみますので、管理人がどのアニメを思い出していたか、アニメ好きな人は答えを当ててみて下さい。
……ジャンルは超能力・ロボット系アニメ。制作は、群像ドラマの大得意なサンライズ。
この映画とにている、肝心のシーンは、
「ヒロインは巨大モンスターを呼び出して戦うという特殊能力が目覚めてしまうが、実はお互い素直になれないでいる相手がいる。
ところが、その相手の男の子が、ヒロインたちのバトルのあおりをくって最終回の間近で死んでしまう。
横たわり、消滅していく彼氏(茶髪の彼氏)に主人公が、
「あたし、まだあなたに言えてない! 本当の私の気持ち、言えてない!」と絶叫、告白するが、消滅して死んでいく彼の耳には聞こえない。思いあまってヒロインが唇を重ねたとたんに彼氏は光って消滅してしまう。
その後、紆余曲折があって、最終回に彼氏が復活。
復活した茶髪の彼氏は背中にヒロインをかばい、ラスボスの前に立って、ついに今まで言えなかった、
「俺は●●(ヒロインの名前)が好きなんだぁーっ!」という言葉を叫ぶ。」
……というもの。
アニメファンの人、どのアニメだかわかりましたか?
はい、そうですね、2004年に放映された「舞-HiME(まいひめ)」です。(今、某所で再放送しているらしい)
茶髪の彼氏とのビジュアルや、素直になれないヒロインと彼氏とか、ヒロインの髪型などが、もろにこの作品を思い出させてしまった。
おそらくシナリオを制作したスタッフは舞-HIMEを見ていないのではないかと思う。知っていたら避けそうなものだ。それともガチンコ勝負に来たか?
ただ、それでも問題にならないだろうなあと、安心してみていられるのは、お客層にアニメファンは少なく、海外の信者さんなどを相手にしている、という点である。
さらに、完成した既存のアニメを彷彿とさせるシナリオを初陣で書いたのだから、宏洋さんの実力は本物だ、といえるのではないだろうか。
なお、この舞-HIMEという作品、海外でも評価は高い。さまざまな国の翻訳版も出回っているし、たとえばyoutubeで「アリゾナの老人」というアニメ批評をしているアリゾナ在住の白い髭のお年寄りは、「涼宮ハルヒの憂鬱」に★三つをつけ、「舞-HIME」には★四つをつけていた。舞台を遠い未来にうつした移民性での姉妹編も作られ、こちらも講評を博した。海外のアニメファンにも比較されたりすると面白いですね。
ああ、それともう一つ。
この会話で引っかかったのが、彼氏の言う「自分の言葉で」という一言。
ヒロインの台詞のどのへんが「自分の言葉」だったのかな、というのがピンと来なかった。
また、この言葉を使いたがる気持ちはわからなくもないのだが、「自分の言葉で」というのは、この十年ぐらい、勉強せずに自分勝手に意見を言う人々の守り本尊のようになっていて、小生にとっては「あ、またか」という、悪いイメージの言葉。
幸福の科学でも、最近、論述問題で「自分の言葉で答案を書け」という指導がなされているらしいが、正直、初期のころの、発足当初、総裁が採点していた頃は、総裁の書籍を読み込んでまとめた論文が点数が高く、また不思議なことに各人のオリジナリティがくっきりと出ていてグレードが高かったのだ。
……でも、若い人には未だに魅力的な言葉なのかな?
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