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2010-01
11月17日 幸福実現党再起動大会「坂本龍馬・幸福政治実現祈願」(2)……もう一つの「龍馬伝」
- 2010-01-03 (日)
- 大川総裁講義シリーズ
さて、いよいよ祈願文が読み上げられる。
坂本龍馬という人が作った祈願文とはどんなものか。
いや、そもそも、宗教家でも文人でもない御仁が、一体どんな「祈願文」を語りおろしたのか……固唾をのんで総裁の言葉を待つや、出だしの一言は
『勇気あれ、日本』
である。
おや、と思う。
「祈願」、というものの形式としては、まず、最初に「天にましますわれらが父よ」とか、「主よ」「守護・指導霊よ」など、天上界にいる対象に対して呼びかけることが多い。
しかし、祈願というより、いきなり、地上部隊へのメッセージとか、指令・励ましに聞こえる
坂本龍馬という142年前のお侍が、自分の死後、142年後の日本を見て、そこに生きている人のために祈願文を書けと言われて、真っ先に言わずにいられなかった言葉が、「勇気あれ」であることに、胸を打たれる気がする。
総裁はこの一文の解説として、
『現代のあなた方から見て、33歳で亡くなったとして、回天の偉業を成し遂げることが果たしてできたかどうか、考えると難しいであろうと思います。』(要約 小生)
と話し、以下、坂本龍馬伝が語られ、最後に、
『龍馬の二大業績は、世間的には「薩長同盟の成立」と、それと「大政奉還」といわれる。』『ただ、君主のいない一種の共和政治を考えていて、薩長閥が力を持つ政治は考えていなかった。』
『龍馬は独創性のある人で、いまの時代に必要なタイプ』(要約 小生)
というまとめがあり、
さらに、現代に同様の生き方をするためのポイントとしては、
『独創性、先見性、破天荒な行動』(要約 小生)
という点をあげている。
最後の「破天荒な行動」、というのが印象深い。
単にそうした人なら、歴史上にも現代にも該当者は多いだろうが、これはもちろん単に「奇矯な行動」ではなく、クリエイティブな意味での破天荒な行動であることは明白である。
たとえば、龍馬の場合の「破天荒な行動」とは『犬猿の仲だった薩長連合の成就』がそれにあたる、という解説が説かれている。
こうしたクリエイティブな破天荒を行うには、やはり実績と実力が必要となる。
「キチガイ」になる前に、世間を唸らせる実績を出してしまえ、という主張が、幸福の科学での「坂本龍馬の霊言」全般に言える一つの特徴であるように思われる。
しかし、その実績を構築する努力は半端ない量であって、たいていの人間はここで挫折することになる。龍馬という人の霊言は、いつもそこからがスタートなのである。この「坂本龍馬と精進」というテーマについては、少し後でまた触れさせていただきたい。
講義は、再び経典の解説。
『われ身命を賭し、幸福維新を起こさん』『この「われ」とは、幸福実現党の党員・支持者のこと。』(要約 小生)
……支持者としては恐縮しました。
『逆風に向かい、勇ましく立ち、智慧の限り、力の限り、仏陀の理想実現のため戦い抜かん。』『不惜身命のユートピア実現、未来の国を創るため、この世の地位も名誉も、富すらも、何ら惜しくはない。』
龍馬、勝海舟、吉田松陰、みな斬る斬られるの中で維新を成し遂げた。
その状況は、まさに『光の天使同士が斬り合う』(要約 小生)という状況だったという話が出てくる。
続くフレーズは、個人的に泣かせ所であった。
『われもとより、仏陀の赤子(せきし)なり。』
……ここでいう赤子(せきし)とは赤んぼうのこと。
そういえば、同じく行動の人であった日蓮上人も、自らのことを「釈子(釈迦の子供) 日蓮」と書いていた。
行動派の人々というのは、みなこうした形で熱い信仰や仏神への思いを語るものなのだろうか。
『何一つ持たず、仏性のみを持ちて、夢の仏国土を創るため、誠意と精進を武器として、』
尊い仏の子どもたちが、「何一つ持たず」「仏性のみを持ち」「夢の仏国土を作るため」に命を捨てる。
泣かせ所である。
が、ここで、「誠意と精進」が武器としてあることに「おや」と思う。
坂本龍馬という人の口から、「精進」という言葉が出てくるのだ。
龍馬という人は、ドラマなどでは剛胆さとか破天荒が強調される。
しかし、考えてみれば、剣術日本一になることや、世界的な視野をもつことなど一つとっても、やはり現代のエリート達そこのけの努力が要ったのではなかろうか。
さらに、以前、リバティで
『あの剛胆な器は、実は努力して作ったものである』
という記事が書かれたことがあった。
それも、記事に署名はなかったが、どうも総裁ご自身の書かれた記事であったようなふしがある。
あの破天荒さすらも、天性のものに加えて、ご本人が努力して、生み出されていた部分があった、という隠れた事実を彷彿とさせる記事であった。
あの破天荒な性格が、じつは努力で出来たなどというと、あまりにも凡人的でロマンがないようにも聞こえる。
ファンは「そんなことあるか」と言いそうだ。
だが、生前の龍馬の書いたものの中にも、あたかも自分にたいして戒めるように「人を呑んでかかるための心構え」のようなものが縷々書かれてある部分が何点かある。
わざわざ書きとどめておくというのは、努力の目標として「かくあれ」と自分に言い聞かせるためのこともあるだろう。
だから、「あの性格は努力のたまもの」という説も、あながち遠くはないのではないかという気がする。
そうすると、一つの希望も見えてくる。
「坂本龍馬の性格は努力して作られたものだった」……その事実は、物語に出てくるような天性の英雄ではなかったのだない、という落胆と共に、つまり、我々でも努力次第であの器と勇気が身につくのではないか、とどのつまり、「人というのはなりたい自分に努力でなれるのではないか」、という大きな希望を与えてくれるような気がするのだ。
(ところで、新刊「創造の法」の書籍の「まえがき」「あとがき」も、一部、坂本龍馬という人の指導が入っているような印象をうける。あの語り口は、二十年前に出版された「龍馬の霊言」やその講義(幸福の科学原論シリーズ所収)、さらに「悪霊撃退法」(角川書店)の話っぷりを彷彿とさせるのである。)
さて、講義はふたたび幕末伝。
面白かったのは
『この国の自由と、平和と、繁栄を願うなり。』
のくだりで、維新の時代には、目の開いた者たちは、
『清国が植民地化されるのを見て、日本の運命も予想された。』
そのために、
『平和も単にじっとしていて平和が来るというのではなくて、「野心を持って侵略しようとする者から、国を守る」という意味での平和ですね。
積極的な平和を考えていた』(要約 小生)
ということ。
幸福実現党は戦争好きの右翼ととらえている人々もかなりおられるようだが、実は右翼でもなんでもなくて、この維新の志士の考え方と同じなのである。
しかし、なんというか、世間、NHKはじめ知識人たちは、歴史のドラマや司馬遼太郎原作のドラマではあたりまえのようにこういう話を説いているのに、現代の我々がいま、全く同じ危機にさらされているということが認識できない。
さらに、戦争に関してだけではなく、「利潤を生むのは悪い」といって、経団連を叩いている民主党、そして「貧しさの平等が素晴らしい」と声高に相変わらずいいつのる知識人たちだが、じつは、あなたたちが謳歌しているいまの豊かな日本は
『明治維新以降、様々な殖産興業の結果、色んな企業ができ、国が豊かになった。
だから、ほんとに明治維新っていうのは一種の世界史的には奇跡であった』(要約 小生)
という結果にうまれたものであり、現在でも同じことである、ということには考えが及ばないらしい。
政治家に選ばれている人たちも、知識人も、けっして頭の悪い人達ではない。
なのに、単純なその事実がわからないということは、やはりマルクス先生の説いた左翼の洗礼、洗脳が、頭にしみわたっているのだろう。
ううむ、正月早々こんなことは書きたくないが、やはり民主党政権だけは、一刻も早く支持率が落ちていただきたいと祈る次第である。
( ……余談だが、年末に支持率の下落が報道されたとき、ほかの新聞社は五十パーセント台と報じていたのに、朝日新聞は四十数パーセントという数字を出していた。
小生は「えっ、民主と朝日新聞は主義主張が一緒なんじゃないの? なんで足をひっぱることを朝日が書くの?」、と、意外に思ったが、伴侶は
「朝日新聞は権力に対しては、たとえ民主党であれ叩くのが正義であり、本能なんだなあ」
と笑っていた。
そんな朝日はともかく、相変わらずワイドショーのコメンテーター達はこぞって鳩山氏を一から十まで庇い倒している。せいぜいで「悪い人ではないが、金銭感覚が庶民離れしている」ぐらいしか言わないのだから頭が痛い。
……みなさん、そんなにこの国を滅ぼしたいんですか! と申し上げたくなる)
講義はその後、
『日露戦争での勝利によって白人優越主義を打ち砕いたこと』
『忘れられていた龍馬が、日露戦争の前に皇太后の夢枕に立って励ましたこと』
『龍馬の最期』
『女性達が維新の志士を命がけでかばったこと』
などが語られる。いずれも有名な話だ。
そして、龍馬に人気のある理由の総括として
『清濁併せ飲む度量と先見性、それから人望があったということ。人望があって、奇抜なアイデアが沸いてくる』
『敵方の人に対しても、非常に温かい目で見ているところのある人』(要約 小生)
「器、海のごとし」というか、根本的に人を許し、受け入れてしまうその懐の深さが、やはり人を魅了するのだ。
祈願の最期はこうしめくくられる。
『坂本龍馬先生の霊よ、われに勇気と智慧と力を与えたまえ。
幸福実現党の指導霊団よ、この世に正義からの繁栄を、打ち立て給え。
わが天命の実現に、お力をおかしし給え。
ご指導、まことにありがとうございました。(合掌4秒ほど)』
ようやく最後の最後に祈願らしい言葉が出てくる。
ここで、総裁がキーワードとして述べたのは、
『正義からの繁栄』
総裁は、これについて 『日本ではあまり言わない』といいつつ、(欧米ではあるのだろうかと思う。アメリカあたりでは言いそうな感じがする。)
『ただ国としての正しさを求める中で繁栄していくことを目指せ。
何が正しいかということを考えながら国の運営をして、繁栄しなさい、と。』
と説いた。
さらに、『天命の実現』についても、
天命とは、『この国をさらに昇る太陽のような国にする。そのための幸福維新を起こす。』
ということ。
『そういう天命の一助になるようにお力をおかし下さい』
と、説いている。
以上が祈願文の解説である。
以下は、十一月当時の世界情勢について、いくつかのポイントをあげてレクチャーが為されていく。
……次回に続きます。
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