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松下幸之助氏の霊言集と回る「ディズニーリゾート」見聞記(1)

 今を去ること、一ヶ月前。
 小生のカリカリしたアタマには、毎日毎日、以下のフレーズが谺していた。

「……江戸のむかし、吉原最高位の花魁・高尾太夫に一目ぼれした紺屋の職人・久蔵どん。
 彼は三年身を粉にして働いた十五両を 太夫に逢うためたった一夜で使いきり……」

 ……何の話かって?
 ……むろん、ディズニーランド、それを含めた宿泊施設のディズニーリゾートの話ですよ!

 この七月十日、大川総裁の大講演会が開催された。
 それに関して、「今回の御生誕祭、折角、子供づれで幕張に行くのだから、前日に入って、ディズニーランドに一泊しよう」と言い出したのは、ほかならぬ伴侶どの。
 確かに、宗教行事には、子供の喜ぶ企画を組み合わせて、楽しい記憶を残してやりたい……という意見には同意。 「お盆で墓参りの後に海水浴して楽しかった」とか、「法事で親戚が集まって、ゴーカな中華料理食べて楽しかった」とかいう記憶というのは、案外子供の心に宗教行事をポジティブに残すのに役に立つ。
 だが、よりにもよってディズニーリゾートとは!
 こちとら、千葉のディズニー施設については、
 「えっ、ディズニーランド、と、ディズニーシーって、二つ遊園地があるじゃん。これ、何が違うの? そもそもディズニーシーって、住所、大阪だよねえ? いつ千葉に引っ越したの?(←ユニバーサル・スタジオ・ジャパンと完全に混同)」
 というレベルの門外漢。
 ディズニーランドなど、「お金ばっかりかかる場所」という認識しかない。
 そんな人間が、毎晩毎晩、道順をリサーチし、園内のアトラクションを調べ、こっちのプランとあっちのプラン、なにがどう違うのか計画して……と、尋常ではない苦労をしているうちに、カリカリした小生の頭はすっかり沸いてしまったのだった。
 ついには、
 「ディズニーリゾート……あれって、どう考えても『健全な吉原』ですよねえ。そう思いませんか?」
 そんなことを人前で口走り、
 「いや、吉原の遊興とディズニーランドを結びつけて考える人間って少ないよ」
 と吹き出されてしまう。

 ……いやいやいやいや、アナタ。
 一度やってごらんなさい。
 ……あの予約を入れる煩雑さ、昔の吉原のようにガイドブック片手にねじりはちまきで計画しなければならない難儀さ、そして、一泊二日のリゾートの宿泊金額。
 ……小生家族四人、パックで宿泊すると、食費・宿泊費・プレミアムツアー込みとしても、一泊二日に交通費を除き、二十万円を超える金額を使うことになる。
 家族でとはいえ、吉原、もとい、ディズニーランドで、それだけの金額が、なんの学びも人生の収穫もなく、あぶくのようにたった一夜で消えてしまう。
 苦労を重ねているうちに、だんだん、小生の頭には、この旅行が「家族ぐるみで蕩尽」以外のなにものでもないような気がしてならなくなってきた。(太夫の代わりにネズミやらアヒルと握手してお客は感激するわけである)
 金のかかるばかりのところへ、暑い最中に……。
 しかし、家族の手前、「やっぱりこれ、やめましょうよ」と言い出せず、そのかわりに予約してから一週間ぐらい、眉間に縦皺を寄せてこのフレーズをぶつぶつと思い浮かべ、憮然としていたのである。

 ところが、このフレーズを反復しているうちに、これを以前、とある偉人の著書で読んだことを思い出した。
 その人物とは、いわずとしれた、松下幸之助氏。
 著書は、氏の生前の著作『その心意気やよし』(php文庫)。
 その書籍の中で、松下幸之助氏は、この「紺屋高尾」の物語を引き合いにだしたあとで
 「その心意気やよし!」
 「三年間、飲まず喰わずに働いて、十五両ためて、それを一夜に使うことができるか。久どんはやった。ほくはとてもできんな……」
 と書いている。
 これを読んだとき、小生は不思議でならなかった。
 ……松下という人は、「釈迦・キリストを超えた」と言われる商売人で、聖者に比する扱いを受けている。
 その人となりを尊敬する人は、もはや信仰に近い感情を氏に抱いており、壮年の男性で、無宗教だが、書斎の床の間に松下氏の顔写真や額を飾って、蔵書は松下氏の講義録、テープをかけては嫁さんに嫌われている、という話をきいたことがある。
 全国にそういうお人は少なくないはずである。
 それだけの徳のある神と祀られる実業家である。
 なのに、その松下社長、
 「社長が遊興にうつつをぬかすと、会社が傾く」という一般的な法則に反して、この吉原の話に深く感じ入っている。
 ……なんだろうね、これは。
 この「紺屋高尾」の物語は、三年必死で働いた久蔵どんが、やがて花魁に会うことが出来、初会のきまりごとで、キセルで一服つけただけで、花魁と別れることになったとき、「次に来るまであと三年」と久蔵どんが経緯をすべて語り、その誠意に打たれて涙ぐんだ花魁が年季明けに久蔵の元にやってきて夫婦になる、というお話。

 たしかに、「心意気」はいいかもしれないし、いい話ではあるのだが。
 これ、伝説にまでなった実業家が感動する物語なのだろうか?
 三年間、職人が飲まず食わずでお金をためたら、開業資金とか、いろいろ今後のためにできるでしょう。
 なにかここで、ひっかかった。
 この違和感がとけたのは、幸福の科学において総裁のリーディングにより「松下幸之助の過去世は紀伊國屋文左衛門」であると明示されてからであった。
 さらに、昨年初頭に発刊された
 「松下幸之助・日本を叱る」。
 同書では、JALの再建策に

 「高付加価値をつけろ。
 そのためには、接客のキャビン・アテンダント(旧・スチュワーデス)を銀座のクラブで研修させて、一晩で百万円を男の懐から抜くようなホステスたちのサービスぶりを勉強させろ。
 そして、振り袖を着せ、飛行機も和式の畳の機体をあつらえて、その畳の上で、お客さんたちに三つ指ついて奉仕させろ。」 「JALのファースト、良かったなあ-、一生の記念やなあ」と言わせるようにしろ。」

 という趣旨の言葉が書いてある。ついで、

 「『サービスの本質とは何か』を研究して、顧客の満足を得ることを、最低限、考えろ」

 と説かれている。
 このときようやく納得した。
 ああ、そうか。
 この霊言や、さきほどの「その心意気やよし」は、昭和の実業家の言葉として読むと違和感があるのだ。
 だが、「大門を八丁堀の人が打ち」と歌に詠まれた男、紀伊国屋文左衛門ならどうか。
  大門を打つとは吉原の大門を締め切ることで、一晩、廓中のすべての遊女を買い切ることである。
 つまり、この発言は、「紀文大尽」といわれ、史上唯一、吉原を借り切った男(←これは桁外れの財力がなければできないものすごいこと)の発言だと思い直して読むと、きわめてよく分かる。
 その豪商・紀伊国屋文左衛門は、JALを再建するに当たって、
 ファーストクラスを「動く吉原」にしろ、
 といっているのだ。
 「紀文大尽」の目には、「吉原」という日本で最高の遊興場には、金持ちに気持ちよく、競って金を落とさせる秘訣がぎっしりとつまっているように見えているはずだ。(←これはおそらく、吉原で遊び尽くしたことのない人間にはわからないのだろう)
 むろん、「吉原につながる道は二つあり、男が通う極楽道、娘が売られる地獄道 」という言葉通り、かの地は暗部もたっぷり持ち合わせ、小生などはいい印象をもてないでいるのだが、その半面、トップの花魁クラスの接客や、お大尽に対する遊郭のもてなしぶりともなると、サービスと満足において、最高度に洗練されたものがある、ということではないか。
 そこにある、最高度のサービスと、満足を生む仕掛け。
 その部分を学んで、現代のサービス業に応用せよ、といっているのだ。

 また、もう一つ、松下幸之助氏は、その霊言で、

 「上記した手法でファーストクラスを満席にしたのちには、
 ビジネスクラスの売りとして、「他社より十分早く着く」と宣伝し、実行せよ」、

 という提案もしていた。
 こちらは正真正銘、松下電器の社長らしい発言だ。
 満足と同時に、速度、つまり自分の時間を多くしてくれるものにも、人は金を払う、というのである。

 小生、松下社長の語るこのあたりの再建策のくだりに関しては、書籍を読んだだけではピンとこなかった。
 だが、ここへ来て、この夏、「健全版・吉原」にも匹敵するかと思われるような、日本一の人気の遊興場、ディズニーリゾートへいく機会が出来た。
 金もかかるが、ディズニーリゾートのサービスに関しては「とにかくすごい」との定評がある。
 「日本でも最高のサービスの行き届いた空間」にお客として赴き、滞在する、という機会は、一年のうちにそうそうあるものではない。
 ここは気持ちを切り替えて、紀伊国屋文左衛門こと松下幸之助氏の霊言「JAL再建策」の項目を片手に、「それを他企業で具現化しているところは、どんなことをしているのか」ということを念頭に置き、ディズニーリゾートをまわってみようか、という気持ちになったのだった。(……続く……かな?)

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