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2011-09

野田首相の守護霊霊言からその過去世を推測する

 さて、今回の野田首相の守護霊の霊言では、野田首相の魂が体験した、具体的な歴史の一コマに関する証言がちらほらと出てきた。
 
 小生は歴史に疎いのだが、伴侶が歴史が好きな人なので、あれやこれや解説してくれた。
 その解説が面白かったので、野田首相守護霊の証言から推測した、小生と伴侶の会話内容をアップさせていただく。
 ……歴史雑学の読み物としてご参考までにどうぞ。

 まず一番最初に語った過去世について。

 (1) 江戸時代、幕府の大坂蔵奉行

 小生「じゃあまず時代の特定ね。
 野田さんの守護霊曰く、「東海道を歩いていて、富士山が噴火しているが見える」って、いつごろなんだろう」

 伴侶「江戸時代で、富士山で噴火が何日も続いたのは宝永大噴火(1707年12月16日~1708年1月1日)。これしかないと思うなあ。
 まあ断言はできないけど、可能性は高いと思うので、この推測を前提にして話を進めていきたいと思います。外した場合はご勘弁ください。
 
 まあ野田さんも、過去世の記憶は、インパクトの強い事件を中心に見えてくるものなのかも知れない。
 当時の人は、『あの富士山が何日も火をふくなんて』と、末世のような気分でショックが大きかったのかも知れないよ。
 綱吉の末期で、綱吉の悪政に応じるみたいに地震・津波・富士山の噴火だったしねえ」
 【資料】『富士山の歴史噴火総覧(http://www.yies.pref.yamanashi.jp/fujikazan/original/P119-136.pdf)」

 五代将軍徳川綱吉の治世末期、天変地異が続いた。
 1703年12月31日(元禄16年11月23日)には元禄元禄大地震が関東地方を襲い、1707年10月28日(宝永4年10月4日)には東海(東南海)地震と南海地震が同時に発生し、太平洋沿岸の広い範囲に大津波が押し寄せた。その49日後、1707年12月16日(宝永4年11月23日)には富士山の宝永大噴火が起き、100km離れた江戸にも大量の火山灰が降り積もった』
【資料】「宝永大噴火http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%B0%B8%E5%A4%A7%E5%99%B4%E7%81%AB」

 小生「その時代に、野田さんの仕事はなんだったの?」

 伴侶「野田守護霊さんは、江戸時代に大阪で『幕府の米倉を管理責任をしていた』っていうから、おそらく、職責名は 『大坂蔵奉行』 ではないだろうか。
 大坂蔵奉行は、定員2名で、役高二百俵ね。旗本だけど、地位はそんなに高くなくいと思うよ。

 小生「まだよくわからないんだけど、現代に置き換えて言うとどんな感じ?」

 伴侶「うーん。
 野田さんの過去世が「大坂蔵奉行」だとすると、上司は「勘定奉行」。
 この勘定奉行っていうのは、今で言うと財務大臣とほか何種類かの大臣を合わせた広い範囲の仕事をしていた。」
 小生「……すごい権限がある仕事だったんだね」
 伴侶「いや、勘定奉行は定員が4人いたし、今みたいな全国を網羅する大臣じゃなくて、幕府の直轄領を治めていたわけだから現代との比較が難しい。
 あえて勘定奉行を今の財務大臣に強いて引き当てると、その部下の大坂蔵奉行は、財務省の大坂にある一つの出張所の所長っていう感じじゃないかと思う。 
 本省の課長ぐらいの職責じゃないかなあ」
 小生「……じゃ、野田さん、前世は、財務大臣ですらなかったの?」
 伴侶「身分は高くないけど、わりと重要な仕事だったかもしれないよ。
 なにせ、当時は、米は年貢や、武士の給料を計る単位だったわけで、つまりは、米が全ての経済の基準だった。
 その米は年貢米として毎年はいってくるわけだけど、全国からの年貢米が大坂に運び込まれてたわけ。
 大坂では大阪城の兵糧米と年貢米の管理がそこでなされていて、そこから米の大消費地である江戸へ送られて、江戸の人たちの口に入った形になっていた。

 【資料】江戸時代の米の価値について
 ……江戸時代は税(年貢)を米で納めたので,米が通貨同様の役割を果たし,米が経済の中心になっていた。
 しかし,やっかいなことに米は作,不作によって大きく政治や経済を狂わせるため,米価の調整に幕府は頭を悩ませたのであった。
(http://www4.airnet.ne.jp/sakura/komekaisyo.html)

 それを、関西で管理する人だったわけだから、経済的には重要なポストだよね。
 しかも、うまみも相当多かったんだよ。そのため米の出納は厳しくチェックされていて、、蔵奉行が検査するほか、大番組蔵目付、城代下士、両定番与力、両町奉行配下の蔵目付の合計5つの機関がお互いに不正がないように見張らせていたんだけど、1642年に江戸で組織ぐるみの不正が発覚して、城米蔵奉行3名及び城米方手代6名の計9名、浅草蔵奉行4名及び蔵方手代3名の計7名、合計で16名が、全員斬罪に処せられているから」

 小生「へえー。で、その米倉の管理所長が、なんで江戸まで旅行していたの」
 伴侶「大坂での米の在庫量、今後の推移や、幕府米を取り扱っていた大坂の米商人から今年の全国の作柄、今後の米価予想などの様々な情報を得て、これらを報告に行ったんじゃないかと思うよ。
 当時は米が全ての経済の基準で貨幣同様の扱いだったわけ。」
 小生「『金本位制』ならぬ、『米本位制』、みたいな……」
 伴侶「そうだね。
 でも金と違って、米は数年に一回飢饉は来るし、ちょっと不作だと価格なんてすぐはね上がったりする」
 小生「『貨幣』にあたる米の価値がそんなにころころ変わったんじゃ大変なことになるんじゃない」
 伴侶「そう。
 米が凶作で高騰すれば不足して、農民が困って一揆や餓死、米が値下がりすれば武士が困窮。
 だから、今と違って米価の調整は幕府の重要な経済政策だったわけよ。
 当時の幕府はかなり米の値段を一定にするのに苦労してた」
 小生「そういえば、米相場とかあるって言ってたね」
 伴侶「富士山も噴火していて、その周辺の村は火山灰が積もり、来年の収穫も不安な状況だったからね。江戸に帰って直属の上司である勘定奉行に大坂の米の状況を報告して、今後の指示を仰いだかもしれないね。
 あるいは、江戸の勘定奉行サイドと大阪の米商人サイドとの中継ぎとかしていたのかもしれないよ。あちこちの顔を立てるのは上手そうだし。
 ……まあ、野田さん、江戸時代も、米という名の当時の『貨幣』の管理で、経済に関係ある仕事してたんだね」
(【資料】http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/rekisi/01edoframe.htm
http://www4.airnet.ne.jp/sakura/komekaisyo.html)

 小生「ふーん……(←なんか、日本史の勉強になる話だったなあと思っている)」
 伴侶「それにしても、野田守護霊さん、最初に『隠密ですか』と聞かれて、いかにもそれっぽく煙に巻こうとしているところが政治家らしいよ。
 自分を大きく見せよう、見せようとするのがああいう人たちの習性なんだろうねえ」

(2)奈良時代、貨幣造幣の役人

 小生「じゃあ、次の過去世の……『秋田の金山と大仏の建立、金の比率を薄めて、貨幣を造る仕事をしていた』というのは……?」
 伴侶「うん、それなんだけど、平城京で『大仏に金を塗る』というときにちょうど東北で、日本史上初めての『金』が発見されたんだよね。たぶんこのときに野田さんか、その魂の兄弟が生きていたんだね。」
 小生「すごいね。大仏さまを作っているときに金が必要だって言ったら、タイミング良く出てきたんだ。一つの奇跡に見えただろうね。」
 伴侶「それまでは金は輸入だったんだよね。それが、現在の宮城県遠田郡涌谷町、黄金山神社(こがねやまじんじゃ)で砂金が出て、天平21年(749年)正月に平城京に献上されたということで……」
 小生「それで、そのころ貨幣も造られはじめた?」
 伴侶「うーん……貨幣がはじめてできたのは金が出る何十年か前。
 朝廷が貨幣を普及・流通させよう、させようとしして、『お金集めた人には位を与えてやる』って令を出したんだけど、それでかえって流通が止まって失敗したとかあったみたいよ」
 小生「野田さんの過去世、まさかその失敗に関係していないだろうな」
 伴侶「政策というよりは、造幣局の役人で、銅銭鋳造の際に、銅の不足を補うために鉛等を混ぜる比率を決めるような仕事をしていたと思うよ」

(3)明治時代 若き渋沢栄一のクーデター計画に参加

 伴侶「あとは渋沢栄一さんの時に出ていた、と。」
 小生「それが直近の過去世になるんだろうね」
 伴侶「野田さんの守護霊さん、思い出すのにちょっと時間がかかっていたね。
 富士山噴火だの、金山発見だのに比べたらインパクトが弱かったのかな」
 小生「なんだか、武器を集めて決起するときの『武器管理係』っていっていたけど、渋沢さんって、立派な経済人でそんな危険なことする人じゃないイメージが……」
 伴侶「いやいやいや、渋沢栄一さんが、武器を集めていたっていうと、若い頃、高崎のお城の乗っ取り計画たてていた時ね」
 小生「えっ……やっぱりあったんだ。ずいぶん物騒な」
 伴侶「当時の渋沢さんは、お城を制圧して武器を手に入れて、横浜の外国人居留地を焼き討ちにし、長州と結んで倒幕しようと思っていたらしいよ。説得されて中止したって話。
 そのあと渋沢さんは、最後の将軍、徳川慶喜公に仕えるようになって、世界の情勢に目を開かされたという。立派な人だったよねえ、渋沢さんは」
 小生「その縁で、あとから渋沢さんに貿易関係の会社に就職世話してもらった、ということね。」
 伴侶「武器の仕入れや管理もそうだし、就職後も積み荷と売上げの管理……っていうと、経理関係の仕事に近い感じもするね」

 以上が、野田首相の証言からわかる過去世の仕事内容。
 ……なお、大川総裁のまとめは、

 大川総裁「敵を減らして、嫉妬させず、長く持たせる。こんなことばかり考えているのかもしれない。
 組織の力学の中で生き延びるにはどうするか。これのプロフェッショナルが、総理になっているのかも知れない」
 「こういう人が上がってくるシステムには問題があるのでは」
 とのこと。
 
伴侶は、さらに、
 「野田さん、今回の組閣では大勢、そのジャンルの素人を、閣僚の重要ポストに付けているよね。
 これは、野田さんが、自分も素人で、官僚にすべて任せて、彼らを立てていれば、彼らも機嫌良く仕事してくれた上に、こちらを立ててくれて上手くいく、そうやって今まで上手くやってきた、というのがあるんじゃないかな。
 だから今回の組閣でも自分の成功パターンを使って、官僚に機嫌良く働いて貰えば国が上手くいくと思って、自分と同じ平凡なタイプや、素人を大臣にした、という風に見えなくもない。

 ……確かに、いままではそれで上手くいったんだろうけど、国家の運営はさすがに上手くいかないと思うよ。官僚に逆らって決断しなければならないことがあるからね。」

 ……なるほど。
 ……もしかしたら近い将来、この人に決断を迫るような出来事が試練としてふってくるかも知れない。
 これまでの野田さんの成功パターンがうまくいかない……そんな時、この人にとっても、国にとっても、不幸な結末にならないためにも、野田首相にはなにとぞ幸福実現党の書籍をお読みいただき勉強していただきたい、と思わざるを得ない。

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