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凡将にあらず! 国民の英雄「乃木将軍」の霊言(3)

 世界の文明の流れを左右する戦に勝利した乃木将軍。
 この乃木将軍が、いったいどうして「凡将」などと呼ばれるようになったのか。

 これについて、最近、PHP出版の雑誌
 「歴史街道」11月号にて、
 『総力特集 二〇三高地の真実』
 が組まれた。
 これまでも、乃木将軍の評価については議論されてきたが、この特集は、「乃木将軍 凡将論」に対しての反論を、わかりやすく載せたもの。
 口絵や写真がふんだんに使ってあって、目に楽しい一冊となっている。
 この特集で語られる、乃木将軍に濡れ衣を着せた最大の「犯人」は誰か。
 特集の内容の冒頭を紹介すると、

 ・乃木「凡将」論を決定づけ、深く浸透させたのは、司馬遼太郎「坂の上の雲」である。
 ・「坂の上の雲」は、日本人に日露戦争の意義を再確認させ、誇りを与えた優れた小説だったが、かなり事実誤認がある。
 ・その理由として、「坂の上の雲」は、「機密日露戦史」(谷寿夫中将が陸軍大学教官時代に戦史教科書として使うために纏めたもの)という資料をもとに書かれたものであったが、じつはその資料そのものがかなり事実に反していた。
 ・逆に司馬遼太郎が「明治後日本で発行された最大の愚書」とこきおろした資料、「明治三十七八年日露戦史」(陸軍の公刊戦史 本編10巻+付図10巻
 付図、挿図700枚以上)のほうが正しかった。」

 さらに、もう一つ、司馬遼太郎という人は、信条による好き嫌いが強くあったことも、その原因ではなかったか、と書かれている。
  特集によれば
 「司馬氏は天皇や軍神を精神主義の象徴として嫌悪したために、軍神の最たるものである乃木将軍を、作中でことさら感情的にけなしたのではないか」
 とある。
 これは、司馬氏の小説を何冊か読んだことのある人なら分かるだろう。
 特集では触れられていないが、その小説作品群は、
 「無名に近い人物を主役にして、今まで偉いと言われていた人を愚かに書く」
 という、「意外性」を際立たせる手法が多い。
 それが、「坂の上の雲」においては、「秋山兄弟」というそれまで無名だった人物をヒーローにし、彼らの天才性を際立たせるため、作劇上の手法として乃木将軍などを貶めたのではないか、ということだ。
 その技法によって、確かに秋山兄弟の輝きはいや増したが、乃木将軍はワリを食ってしまった……。

 というわけで、「乃木凡将」論がここまで浸透した、その犯人は
 「司馬さん。やっぱりあなたでしたか」
 と、頭を抱えたくなる話が、特集の冒頭にあるのだった。
 「やっぱり」、というのは、これは前からあちこちで指摘されていたことだったからだ。
 司馬遼太郎氏の影響力というのは本当に圧倒的で、その著作に乃木将軍があんなふうに書かれなければ、現在の評価はもっと高かった、という話は多く聞かれている。

 司馬遼太郎氏はまことに希有な作家だった。
 小説で国を救うことができるということを、私たちは氏によって教えられた。
 氏は、大量の資料を多読速読しては、自説が客観的なものであるような説得力のある書き方でインパクトを与えるのが抜群に上手い。
 そのため、この人の小説を読み終わると、司馬氏の頭の中だけにあったはずの歴史観が、普遍の真理のように思われてしまう。
 その強力な「作家的膂力」という武器を使い、「龍馬がゆく」「坂の上の雲」をはじめ、さまざまな小説で、敗戦後の日本人を「自虐史観」から救い、誇りを取り戻させてくれた。
 その功績は計り知れない。
 しかし、同時に、氏の、なんというか、「天皇嫌い」「思想嫌い」「権威嫌い」もまた、ずいぶん日本の左翼知識人たちを応援してきたように思う。
 結果として、司馬遼太郎氏の小説は、日本人を救ったと同時に、最近の左翼に力を与えている部分も多かったのではないか。
 司馬氏はジプリの宮崎駿監督とも交友があったはずである。
 民主党の中にも「司馬史観」好きが多いと聞いたことがある。
 なるほど、道理で彼らは二言目には「坂本龍馬」とか維新の志士の名を口にし、自らをそれになぞらえて、民主党の旗印のように龍馬さんを引き合いに出している。
 坂本龍馬という人物を日本中に広く紹介し、大勢の「信者」をつくったのも、司馬氏の「龍馬がゆく」であった。
 幾度でも力説したいが、司馬遼太郎氏は大きな仕事をされた偉大な作家だった、と思う。
 乃木将軍が戦に勝つことで歴史を変ええたなら、司馬遼太郎氏は作品を書くことで自信を無くした日本人に誇りを取り戻させた人物だ。
 しつこいようだが、その仕事が日本の復興にどれだけ大きな力を持ったことか。
 しかし、現代に評価される作家というのは、その多くが作品に強烈な毒を持っていることが多い。
 「毒」は、とりつづけると体を弱くするものだ。
 健康な状態なら、少々の毒は嗜好になるだろうが、今、日本は外憂内患といった体である。
 偉大な作家の仕事には功罪両面があっただろうが、日本を弱める「毒」に関しては、上手くその影響を緩和していかなければならない。
 そうでないと、ますますこの国の転落の速度が速まっていくことは間違いないからだ。
 
 ……そういえば、司馬遼太郎氏(1923年~1996年)が ちょうど「この国のかたち」(1990年-1996年「月刊文藝春秋」、巻頭随筆)を執筆していたころ、オカルティズム関係の記述のために、大川総裁の本を読んでいた、という話があった。
 小生の記憶では、確か1991年より前だったように思うが定かではない。
 当時、職員から聞いた話だが、
 出版関係の、大勢の編集や作家が集まる会で、その席上にいた幸福の科学出版の職員が司馬遼太郎氏を見かけた。
 その司馬氏、なんと、鞄の中(だったか?)に、総裁の書籍を忍ばせていたのを見つけたので、驚いたその職員は司馬氏と少し話をし、幸福の科学の誌友会員への入会を勧めたという話だ。
 (確か、話によると、「そのとき、司馬先生は逃げようとされて」、と言っていたように思う。)
 聞いたときにかなり驚いたので、まだ覚えている司馬遼太郎氏と幸福の科学との逸話である。
 懐かしい。
 いま、帰天した司馬遼太郎氏は、一体どんな顔で今の日本を見ていることだろうか。

 ……切なく思いつつも、当ブログでは次回の更新があれば、「歴史読本」の記事を参考に、「坂の上の雲」乃木将軍編に、修正をくわえながら、「歴史を変えた戦」の流れを追ってみたいと思います。

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