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2012-08
御生誕祭 本会場に行ってきました(2)
- 2012-08-02 (木)
- 幸福実現党観察日記
前回に引き続き、御生誕見聞録。
今回は、撮影禁止の場内での様子について。
まず、アリーナの座席が、座ってみて前回より余裕があったように感じた。コップ立てもあったし。もしかして、改装しました?
場内に入ると、すでに外国のシンガーさんが壇上で歌っている。
毎年、年を追うごとに、講演前のステージは手が込んで楽しませていただけるものになっているという感じだ。
壇上のパフォーマンスが進む中で、家族四人が座れて、出口のゲートに近い席を選んで着席。周囲の少ない空席もみるみる埋まっていく。
すぐ近くで、学園の制服らしき若い子たちを発見。お行儀良くお弁当を食べていた。
……なるほど、今年の御生誕祭は開催日が例年よりかなり遅かったから、ちょうど学生さんたちも夏休みに入っている。
実家が北海道とか関西とか、関東から遠いところにある生徒さんなら、帰省前に埼玉で法話を聞いてから帰りたいと思うだろうな、と得心。
周囲の会話に混じって、学生さんたちの会話が聞くともなしに耳に入ってきたが、「講演の前か後に、総裁センセが出てきたら、『センセーッ!』て声かけようか?」と、可愛らしい相談をしている様子。
内心で『便乗して自分も一緒に叫ぶかな』と考えたが、子供連れなのでそれをやった瞬間に親の権威が壊滅するだろうと思われた。
そうこうしているうちに、七時開演。
会場が暗くなって、東京ドーム時代からのおなじみであるライト・パフォーマンスがはじまる。
小さい娘は、去年の夏も御生誕祭に来たはずだが、今回、初めて高所の席から、客席を照らすパフォーマンスの全貌を見ることができて、その綺麗さに大興奮。
ライトに「きゃーっ、すごい、すごい! こっち来てーっ! アタシを照らしてーっ!」とばかり興奮するのを押さえつけるのに一苦労である。
それにしても、今年は総裁登壇の直前に流れた奉納曲のスコアが耳に心地よくて、スコアが欲しい、映像がほしい、と思って聞いていた。(20年この団体を観察して、ようやく感性が追いついてきたのかも)
やがて音楽が高まって、壇上の奥から、総裁が現れる。
同時に、周囲からは、もう「ほんまに日本かいな」と思うような熱い拍手、拍手、拍手。四階席のあちこちですら、熱烈なスタンディングオベーションで、拍手が40分間ぐらい鳴り止まないんじゃないかと不安になるぐらいだ。
肝心の法話の内容は、布教所でも拝見できるそうなので、幾度か見かえす予定にしているのだが、
現場で聞いた所感を言えと言われたら、なんというか、今回は、「将来の日本の理想とするべき姿を、聴衆の心の中に像として結ばせてもらった法話」だという印象を受ける。
総裁は、「日本人は道徳心が高いが、信仰にまで高められていない」と語った。
その国を、世界最高の豊かな国にする。
この「日本を最も豊かな国にする」ことが、幸福の科学と、実現党の現在の最も大きな戦略の一つなのだ。
幸福の科学や実現党をウルトラ右翼、と称する向きは多かろう。
ここ数日も、ネット上で、沖縄に出現した
「オスプレイ配備歓迎」
の大きな垂れ幕の画像が話題になっていたが、即座に「きっと、幸福実現党の関連だろう」という書き込みが為されていた。
だが、従来の日本の右翼のイメージと、実現党が、決定的に違うことは、幸福の科学・実現党の主張が、武力の行使は最低限にして、経済力を高めていくことに対する提言に満ちている、ということだろう。
現代では、軍事をはるかに凌駕して、経済力が国の土台だ。
中国にしても、経済あっての軍事であり、経済が全ての元手だといえる。
だが、その経済は、世界的に雲行きが怪しく、「世界恐慌」の奈落に落ち込むかも知れないと、人々は不安がっている。
ここで、「世界恐慌」に陥りそうな、世界を救うためのカギは何か、というと、それこそが、じつは「日本の繁栄」なのだ。
例えば、欧州危機一つとっても、大川総裁は、以前の法話で「欧米の危機を救うには、米中日の三カ国が、経済支援をしなければならない」、と語っていたように記憶している。
だが、中国のバブルは崩壊し、アメリカはといえば、オバマが再選されれば、福祉にばらまき、ロムニーが選ばれれば、金のかかる戦争をしかけて軍事費に消え、どちらもアメリカ経済は好転されない、という。
となると、落ち込んでいく世界を両手で支えるような、そんな直接的な経済支援ができる国は、やはり日本しかないのだ。
さらに、日本に経済力があれば、日本の文化力が上がり、影響力が上がり、感化力が上がっていくだろう。
そこに一本信仰が通っていれば、日本は、精神的にも、世界全体をゆるやかに善導することができる。
各種の民族紛争を調停できるのは日本だ。ウガンダで幸福の科学の支持が広がっているのは
「神様どうしの争いによる内戦はもうたくさんだ。ここの教義では、それらの神様の教えと、それらを統べるもう一段上の神様が説かれている。神様は一つで良いじゃないか。ここの教えで良いじゃないか」
という感情が背後にあるからだという。
こうしたことを考えていくと、日本は、まだまだ没落を許されない。
民主党の野田首相は、先日、「日本の目指すものは、三丁目の夕日のような古い時代への回帰」だと言ったが、そのようなことであってはならない。
民主党が考えているように、「もう一度、電気も何もない貧しい時代に帰れば、明日が今日よりよくなるという希望が持てる」などという「下山の思想」発想は、完全に間違っている。
むしろ、いま、日本が経済的に衰退していけば、日本は「明日への希望」どころか、確実に精神的な荒廃を蔓延させることになるだろう。
そうではないのだ。
日本は、すでに、経済的に高く、民度も高く、治安が良くて、文化が豊かな国だ。
これをもう一歩、高みへ押し上げろ、と言っているのだ。
その未来の日本と、世界の姿が、この日の法話を聞いていると、ありありと見える気がした。
日本が目指すべきは、「そういう国に住みたい」と、世界中の人が思う国だ。
世界中から大金持ちが競って集まってくる国だ。
世界中の人々が、ひと旗揚げたら、続々と移民審査におしかける国だ。
いるだけで、所得を増やすチャンスがある、ジャパニーズドリームの国。
地球の人々にとって、日本に市民権を持つのがステータスであり、日本に別宅があるのが憧れである、そんな国。
日本が目指すのは、そういう国なのだ。
逆に、日本のそうした繁栄がなければ、世界の救済はままならない。
だから、大川総裁は、今回の法話の中で、言外に、「幸福の科学と幸福実現党を使い、持てる智慧のすべてをつぎ込んで、日本の繁栄を阻むものを、すべて打ち砕いていく」と宣言したように思われた。
法話を聞く限り、総裁の意志は明確だ。
「私はここにいる。私はこの国と、この星を、滅ぼさせはしない」
総裁のその強烈な意志が、この日、世界の3500箇所に中継された。
この日のタイトルは、「希望の復活」である。
昨年の香港の説法を思い出す。あのとき、総裁が、いまにも香港から逃げだそうと思っていた聴衆に対して、劇的な回心をもたらして、革命に向かわせた。
それ同じことを、日本と、世界に対して、総裁はこの日、行ったのではないかと思う。この法話こそ、「もうだめかもしれない」と頭を抱えているこの星の人々を鼓舞し、流れを逆転させるためのものではなかったか。
40分の法話が終わる。
総裁が講演を終えて去っていく。
その後ろ姿を見ながら、 帰りの新幹線のために、慌ただしく子どもたちをせかして立ち上がる。
その拍子にふと見ると、学園の学生さんたちは、感激の涙でひたすら、ひたすら、拍手をしていた。講演中は、必死でノートを取っていた彼女たちだった。
開始前に相談していたような可愛い声援は聞かれなかったが、それ以上に美しい姿を周囲に示してくれていた、と思う。
その必死さは、あたかも、20年前の自分たちの世代をタイムスリップして見るようであったし、同時に、一つの希望として感じられる。
会員さんの中には、もう人生の半ばをすぎた、あるいは過ぎようとしているという世代も多いわけだが、そうした人達がこの光景を見たら、おそらく、自分たちが地上を去った後も、続々とこうして総裁の法に惹かれ、法を支持する人々が続いていく、その大きな流れのはじまりを見るような気がしたに違いないだろうからだ。
彼女たち、それから集まった人たち、3500箇所の世界中の人々へも合掌したくなる、なにやら神妙な思いで、感動もそこそこに、家族をせかして外へ出る。
慌てて出たにも関わらず、外はやっぱりけっこう混んでいた。
……さて、行きは人が多すぎてわからなかったが、場内には、かなり面白いものが存在していた。
それは、当日の通路脇にずらり並んだ、場内のブース。
どれもこれも幸福の科学や実現党関係のブースなのだが、それぞれが、縁日の屋台以上に趣向を凝らしてあって、学園祭のようで、見ているだけで大変楽しい。
ほんとうに「お祭り」という感じだ。
一つずつじっくり見たかったのだが、帰りも急いでいたので、歩きながら無差別に、ばしばし片っ端から携帯のシャッターを切って写真におさめさせていただいたが、いい記念になった。
次回、「とことんじっくり見たかった」、ブースの内容についてアップさせていただきます。
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