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やなせ氏の訃報によせて~「あんぱんまん」とアンパンマン(上)

 その1冊の衝撃に出会ったのは、30年以上も前のことだった。

 書店の階段わきの一角に、その絵本はおいてあった。
 「おっ。雑誌『詩とメルヘン』のやなせたかしさんの絵本だ」
 学校の図書館にも置いてある、イラストと詩の雑誌の、なじみ深い作家の名前に、ふと手にとって開くや、目を奪われた。

 一ページ目は、砂漠。
 オレンジ色の、夕暮れの荒涼とした砂漠。
 そこに、一人の痩せたひげもじゃの男が、ぼろぼろの服に裸足で、がっくりと両手両足をついている。
 男がひとり、死にかけているのだ。

 『ひろい さばくの まんなかで、
 ひとりの たびびとが 
 おなかがすいて、
 いまにも しにそうに
 なっていました。』

 その時、はるか西の空から、沈む巨大な太陽の中を、大きな鳥のようなものが、近づいてくるのが見える。
 飛んできたのは、誰か。
 それは、スーパーマンに似た服装の、しかし、マントはよれよれで、汚らしい茶色いツギだらけの……丸顔の一人の若者である。

 『とんできた ふしぎなひとは 
 いきなりたびびとにいいました。
 「さあ、ぼくのかおをたべなさい」』

 いきなり、衝撃の一言である。
 夕日の砂漠の逆光のなかで、その若者の身なりは、どうみてもヒーローのそれだ。
 しかし、どこの世界に空を飛んでやってきて、
 「自分の頭を喰え」
 というヒーローがいるだろうか。
 旅人はむろん、
「そんなおそろしいことはできません。」
 と断る。
 いくら腹が減ったって、人の頭を、ヒーローの頭を喰うなんて。
 だが、若者はこう言ってせき立てるのだ。

 『ぼくは あんぱんまんだ。
 いつも おなかの すいた ひとを たすけるのだ。
 ぼくの かおは とびきり おいしい。
 さあ、はやく!』

 これこそが、「あんぱんまん」が世の中に名乗りをあげた最初の瞬間であった。

 衝撃は、まだまだ読み手を襲う。
 旅人は、そんな残酷なことはできない、と思いつつ、空腹に耐えかねて言う。
「ごめんなさい、では ちょっとだけ」
 だが、旅人は力つきてたちあがることができない。
 だから、旅人のために、ヒーローはにこにこしながらわざわざ膝をつき、両手を地について、飢えた彼と同じ、土下座のような姿勢をとる。
 そして旅人は、目の前で、自分を助けるために、ぶざまにも四つん這いになってくれ、自分よりも身を低くしてくれた長身のヒーローの、まだ胴体とつながっている頭に、直接口をよせてかじりつく。

「そのおいしいことはびっくりするぐらい」
 旅人の食欲は止まらず、ヒーローの頭は、物語が始まって数ページで、なんと、半分、吹き飛ばされたように喰われ、旅人の胃袋に収まり、なくなってしまう。
 ……ああ、そんな、ばかな。
 通常のヒーローものなら、頭を半分吹き飛ばされたりしたら、ヒーローの負け、悪役の勝ちである。
 仮面ライダーもウルトラマンも、自分が頭を半分ふきとばされたら、その時点でおしまい。即、物語は最終回だ。
 そんな目にあわないように、ヒーロー達は戦い、逆に敵の頭を吹っ飛ばすのである。
 だが、このヒーローは。
 頭を半分失いながらも平然としていて、目の前の、自分の顔を食べたために元気になって旅を続ける男に、
 「さようなら、がんばれよー」
 と声をかけ、ぼろぼろの汚らしいマントを翻し、旅人をおいて空に飛び立つ。

 夕暮れの空を飛びながら、ヒーローは少し、元気がない。
 あたりまえだ。
 顔が半分喰われたのだから。
 やがて、彼は深い森に飛び込み、真っ暗な森中で飢えて泣いている子供の元に駆けつける。
 「ないているのは、きみだったのか。
 もう だいじょうぶだ。あんしんしなさい。」
 そして、子供を汚いマントの背中に乗せて、飛び立ちながら言うのである。

 「おなかが すいたろう。
 さあ、ぼくの かおを
 かじりなさい。
 ぜんぶ たべても いいんだよ。
 あまくて おいしいから
 すぐ げんきに なれる。」

 ……そんな、無茶な。
 いくら、子供を助けるためだからといって。
 いくら自分の顔が甘くて美味だからといって。
 顔を全部喰われて、いいわけがない。
 だが、次のページでは、ヒーローは、ついに、腹ぺこの子供に顔をすっかり全部食べられてしまう。
 ヒーローは、もはや、首がない。
 あたかも西洋の伝説の、首なし騎士デュラハンのような姿だ。
 さすがに心配になったこどもに
 「顔がなくとも大丈夫なの」
 と聞かれても、
 「しんぱいしないでいいんだ」
 と、いって、首なしのシュールな姿のまま、空を飛んでいってしまう。
 ……なんてことだ。
 このヒーローは、愛のために首なしになっても、空を飛べるヒーローなのだ。

 だが、首を失うことは、エネルギーを失うことでもあった。
 力なく雷鳴の中を飛ぶヒーローは、ついに町外れの煙突の中に墜落してしまう。

 『あぶない! あんぱんまんは しんだのでしょうか』

 落ちたのは、パン工場の煙突だった。
 白い、明るい、天国を思わせるパン工場。
 パン作りの名人のおじさんが、彼を見て言う。
 「よしよし。また あたらしいかおをつくってあげるよ」

 ヒーローは、首がないまま、工場の机の上に座っている。
 その姿は、首をはねられた男、そのものである。
 困っている人々に、自分の持てる最も良いものを分かち与えたすえに、首をはねられた男の姿に見える。

 やがて、パン作りの名人は、もっと大きな、もっとふっくらした、もっとおいしい餡の入った頭を彼に与える。
 すると、彼は即座に次なる飢えた人を探しに空へ舞い上がるのだ。
 せっかくもらった、そのふかふかの顔、自分の元気の源を、また引きちぎって、すべて与えつくしてしまうために。
 地上からおじさんが手をふって叫ぶ。
 「がんばらなくっちゃ。あんぱんまんー。」
 そして、絵本の最後はこう結ばれている。
 『あんぱんまんは きょうも どこかのそらを とんでいます』

(「あんぱんまん  キンダーおはなしえほん傑作選」フレーベル館より)

 ……読み終わって、体の震えが止まらないここちがした。

 その頃の小生の愛読書は、小中学生向けの、仏典と、イエスの伝記、宮沢賢治の伝記だった。
 同級生が江戸川乱歩やシャーロックホームズ、怪盗ルパンなどを大量に借りて読書数を競っていたころ、同じ学校の図書館で、誰も借りることがないその3冊の本を独占し、幾度も同じ本を繰り返し借りては、「いいなあ」「すごいなあ」とため息をついて読みかえしていたのだ。
 ……ところが、たった今、読み終えたその絵本からは、明らかに、それらの愛読書と同じ香りがするではないか。

 衝撃に震えたまま、当時の自分は子どもなりに考えた。

 ……まちがいなく、これは、「愛についての物語」だ。
 このヒーローに、悪役はいない。
 けれど、首をはねられたように、頭を人にむしりとられる。
 困っている人たちから、頭をむしり取られる。
 いや、彼が与えてしまうのだ。
 それでも彼は笑っている。
 首なしの、前代未聞のシュールなヒーローが、楽しそうに空を飛ぶ。
 彼はなにがうれしいのだろう。
 彼はなにがたのしいのだろう。
 おそらく、彼のよろこびは、ただ一つ。
 世界の不幸を、亡くすということなのだ。 このヒーローにとって滅ぼすべきものは、「世界の不幸」そのものなのだ。
 この世の苦しみを一つでも減らせたと言うことが、彼にとってはとてつもなく誇らしいことなのだ。

 それはまさしく、「かつて地上に現れた、聖者たちの生涯」そのものに思われた。
 当時の自分になじみ深い聖者といえば、釈尊、イエス、宮沢賢治。
 彼らはみな、汚らしいツギだらけのマントを着て、困っている人のために、そのひとたちよりも、もっと身を低くして、自分の頭を引きちぎって人に与え続け、大人の男には、自分の足で歩いて厳しい旅を続けるようにと、食べ物だけを与えて励まして去り、力のない子供は暗い森から救い出し、ついには、その愛のために首をはねられるような人生を歩んでいた。
 そんな彼らの人生を案じる人がいれば、きまって彼らは
 「しんぱいしないでいいんだ」
 と笑うだろう。
 ……もちろん、嘘に決まっている。
 平気なわけがない。
 やがて、彼らは力尽き、墜落していく。命を落とすことだってある。
 しかし、力尽きた先、命果てた先には、父なる神のごとき存在が待っている。
 彼らはそこで、さらに大なる愛の力を授かり、ふたたび立ち上がり、あるいは転生して、多くの人を救いに飛び立っていく。
 神様が、そんな彼に「がんばらなくっちゃ」と、手をふっている……。
 そんな彼らは
 「きょうもどこかの空をとんでいる」という。
 無名の聖者たちは、今、この瞬間にも、同じ世界のどこかに生きていて、ひっそりと世界を支えているのだ。

 ……深い。
 しかも、そうした宗教性を感じさせる深い物語を、説教臭さを感じさせず、首なしヒーローという前代未聞のシュールな発想の面白い物語として、一気に読ませてしまっている。
 当時の自分が読んだ本の中で、深い宗教的真理を芯に持ちながら、強烈なファンタジーで人を魅了した物語と言えば、ずばり、「ナルニア国物語」だった。
 「もしかすると、これは、「ナルニア国物語」のような、姿を変えた『イエス伝』『仏典』じゃないのか?」
 ……なんという凄い物語を、この人は産んでしまったのだろう。
 やなせさんって、なんてすごい人なんだ!

 ……これが、小生が読んだ「あんぱんまん」登場の1冊と、その感激の内容だった。
 その衝撃と興奮は、数十年たった今でも、こうしてよどみなく語ることができる。

 絵本を置いたそのあとも、興奮さめやらず、やみくもにうろうろと書店をあるきまわった覚えがある。
 ……この本、絶対人気が出てほしい。
 ……絶対もっと多くの人に、読みつがれていってほしい。
 だが、そんな一人の子どもの読み手の高揚とは全く別に、この作品は、あらゆる関係者から極めて手ひどい評価を受け、人気が出てからも、作者から「はやく絶版にしてしまいたい」と言われる運命をたどっていたのである。(続きます)

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