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2018-05

覚え書き「さらば青春、されど青春」感想 (1)この映画は今後の映画史上、最も再演・リメイクされる日本映画になる(ただし条件付きで)

 映画「さらば青春、されど青春」。
 いま支部で、大川総裁ご自身が、2年前に収録した制作ガイドをオープンにしているが、自分への備忘録に感想メモをあげておきたい。
 感想は4点。
 まず1点目。
(1)この映画は今後の映画史上、最も再演・リメイクされる日本映画になる(ただし条件付きで)
 初見で感じた感想は、この映画が、映画史上もっとも多く再生され、あるいはリメイクされる映画になる可能性がある、ということだった。
 ただし「条件付き」で。
 条件とは何か。
 それは、「幸福の科学という日本発祥の教団が、500年以内に、キリスト教並びに仏教と比肩するか、それ以上の宗教団体となった場合」である。
 この映画は、ポスターと中身がかなり乖離した宣伝方式をとっている。ポスターは、古い映画「君の名は」(アニメ映画のほうではないやつですよ!)を思わせる。(たぶん、見に来る人が入りやすいように)
 だが、映画開始五秒で、観客はこの映画の本質がわかるだろう。
 そう、この映画の本質は「仏陀伝」「イエス伝」と同じものなのだ。
 仏典でいえば、仏陀が王宮を出、苦行し、やがて苦行の無益を悟り、解脱に到り、法を説くその第一声まで。
 イエスの生涯でいえぱ、イエスがマリアのもとに生を受け、おそらくはインド、エジプトを周遊し、荒野の試練を経て、最初の説法のために口をひらく、その瞬間まで。
 この映画は、幸福の科学版のそれである。
 仏典、イエス伝は、仏教とキリスト教が世界宗教化したことによって、おそらく、史上最も人々の口に語られ、さまざまに劇化された伝記となった。
 ならば、幸福の科学が世界宗教化した際には、同じくこの映画の映像が後世、もっとも流され、再演され、幾度も、幾度も、作り直されるのではないかと想像できるのだ。
 こう書くと、「あー、やっぱ宗教映画だったのかよ」と、「宗教」の二文字ですでにうんざりされる方々も少なからずおられよう。
 そんな方々には「いやいや、宗教って、この国にメリットがあるものなんですよ」、と申し上げたい。
 たしかに、日本人の宗教アレルギーは、もはや疑いようもない常識になっており、韓国人が日本人の「侵略」を信じるがごとくに、日本人は「宗教は悪者」という前提を平然と信じている。
 しかし、そんな人々には、宗教についての完全な盲点があるように思う。
 それは、「自国から、世界宗教が出現することのメリット」、である。
 たとえば、仏教がインドから出たことが、インドを守り、キリスト教の発祥であるということがイスラエルを守っている。それらの国々は、世界に名だたるような産業もないのに、2000年もの間、世界の多くの人々から一目置かれてきた。
 それはその国々が、「世界宗教発祥の地」であるからだ。
 もし、同じものが日本から出現したらどうなるか。
 考えてご覧なさい。キリスト教も仏教ももう形を残していないところへ、残った世界宗教「幸福の科学」の発祥の地が日本である、という状態を。
 日本は、数百年後、国力が落ちて産業が沈みはてても、長くこの星の人々から大切にされることだろう。
 その時に、『始祖在命中につくられた「始祖伝」』というものが、どれほどの価値を持つかは想像に難くない。
 もしイエスが在命中に、「私の第一声までを詩編にして残そう」と語り、仏陀が在命中に「我が解脱の物語を劇に残そう」としてそれらを残したら、それはどれだけの価値があるか。
 それがこの映画の価値である。
 歴史上に残るかも知れない映画、ご覧になった方はトクをしましたね、と申し上げたい。

 (しかもそれを演じているのは総裁に口元が生き写しのご長兄で、おそらくは、霊能力が使える人物である。いちいち神下ろしのシーンで本気で霊力を使っており、再現ドラマとしての質は最高に近い。
 純粋に映画としてみた場合の、演出や脚本の気になる点……それは教団が毎年2本3本と劇場版映画を作っているがゆえの時間の足りなさにあるはずだ……は、むしろ、後世へのリメイク欲を掻き立てることになるだろう。いや、この映画に限らず、幸福の科学の映画は、すべからくリメイクや舞台化を前提とした壮大な後世への「ネタ集」になっていくのではないかと、思われる節があるのだ)

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