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2023-03
3月2日、大川隆法総裁のニュースによせて
- 2023-03-03 (金)
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幸福の科学 大川隆法総裁が死去
2023/3/2 14:35
https://www.sankei.com/article/20230302-JTYL7FBMSFNPJMBCTZXD2O65UU/
幸福の科学学園の卒業式が行われたのは、ニュースの前日だった。
翌日、その報を聞いて、
「自分たちの卒業式に重ならないようにしてくださったのだ。
先生は、私たちを、みていてくださった。」
と涙した卒業生たちがいたという。
ビジョンが思い浮かんだ。
卒業式の赤い絨毯の上を、晴れやかな笑顔の子供たちが歩いて行く。
その姿を、大川総裁が微笑んで見ておられる。
卒業式の日の空はじっと見ているだけでなぜか胸に染みるような、なんとも言い難い青さだったそうだ。
幾人かの父兄は、その空にカメラを向けて撮影していたという。
その空の下で、学園の玄関前の「希望の鐘」が高らかに鳴らされ、鐘の下は、記念写真をとる生徒達の歓声で満ちている。
大川総裁が静かに、それを聞いて微笑んでおられる。
いま、これを打っているのは深夜だ。
冒頭のリンクは産経ニュースだ。
比較的幸福の科学に好意的だった産経のニュースですらこんな書き方か、と思う。(もっともNHKと産経は安倍政権時に、「実現党の味方をした」との厳しいお達しがあったそうなので、実現党の取材をした記者の皆さんはみな追い出されているのかも知れないが)
まことに今日一日、てんで好き勝手にざわめいた世間の口よ。
そのざわめきの中で、世界中で捧げられた信者の方々の祈りはどれほどのものだっただろう。ましてや、肉の身の総裁の身近にいた方々の心中を思うと、正直、言葉もない。
この夜が明ければ、さらなる戦いが始まる。
しばらくは、大川隆法という宗教家の書を読まず教義を読まず、テンプレのイメージや虚言の証言をとりあげて、さまざまに語り揶揄して笑う声が溢れるかもしれない。
けれど、大川隆法という人の教えを受けたことのある人びとは、いま静かに、こう思っている。
『私たちのやることは、変わらない』と。
昨日そうであったように、今日も、明日も、明後日も、教えを学びそれに従い、淡々と生きていく。
それだけだ。
そのための教えは、すべて説かれている。
『波騒(なみざい)は世の常である。 波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。』(吉川英治)
あれほど、「八十歳、百歳と、現役で法を説く」とおっしゃっていた方が、予定を切り上げられたのならば、何か急な御用ができたか、何かご都合があったのだろう、と古い読者ならみな思う。
まるでこの日の予言のように、昨年の2月「信仰薄き者たちへ」という短い霊言説法のなかで、「今、大川総裁が亡くなったら」ということが語られ、その時、それをどう考えるべきかということが説かれていた。
(願わくば精舎等でこれまで通りのお布施でその法話が拝聴できるように。おそらく必要な人が大勢出るだろうから)
正しくそのメッセージを受け取った者たちには、何があろうと迷いはない。
これから何が起きるだろうか。
意外と大川総裁は、明日になればけろりと起き上がっているかも知れず、あるいは何も起こらないかも知れない。
また聖書ばりの復活劇があるかもしれず(総本山のある栃木県は土葬を許可する県であると聞く)、もしくは火葬にされた灰や遺骨が聖遺物となってさまざまな奇跡を起こすかも知れない。
その逆に、何も起きぬがゆえに残された人々がイエスの12弟子のごとくに目覚め、この教団は長い苦闘ののちに、この星の誰もが認める世界宗教となるのかもしれない。
少なくとも、教団の祈願は力を増すだろう。古い会員は、大川総裁ご自身から「肉体の枷を離れたときに本来の力が出る」という話を、以前に伺った覚えがあるから。
いずれにせよ、誰の予想もつかないシナリオを展開されるのがお好きな方である、と思う。想像を絶する展開が待っている気がする。
それにしても、ついにこの人物をこれまで受け入れることのなかった日本という国よ。
明日以降、ニュース等で大川総裁の法話が流れ、日本中を駆け巡ることがあれば、それが最後の日本人達へのはなむけになるだろう。やがてそのニュースすら、新たなニュースの波に洗われて消え去ってゆくのだ。
この教団が本物であるならば、そんなさえずりとは無関係に、その歴史の波をものともせぬどころか、長い時間をかけてでも、逆にその波をせき止めて変えてゆく巨大な山脈となるだろう。
かくて歴史は始まる。
その一方で、その巨視的物語とは別に、どのように世の中が変わろうと、我々読者にとって、変わらない事実があった。
本を開けば、いつもそこに大川隆法総裁がおられた、ということだ。
経典を読む者はこれからもずっと、この教えを食べ続け、心に力をつけて、長い長い道をともに、歩いて行く。
これからもその事実は、変わらない。
何年後も、何百年後も。
そして、おそらく、何千年後も。
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